2026年1月15日木曜日

2026.01.15 鉛筆は大したヤツなのだ

● 紙に染み込むのではなくて,紙の上に擦りつけられる黒鉛。その違いが鉛筆の得も言われぬ味わいを生む・・・・・・かどうかはわからない。というより,黒鉛の黒さ加減が非常に好ましいのだ。
 ちょうどいい黒。黒々とした黒ではなく,ほどの良い黒。

● 超黒とか極黒ではない普通の黒インクでも,万年筆の黒は重さを感じさせる。だから,万年筆はブルーかブルーブラックに限ると思っている。
 鉛筆の黒はそこまで黒くない。軽やかな黒だ。そこがいい。

● そうして,紙に乗っているだけなのに,消しゴムで消さない限りは経年劣化に最も強い。水に濡れても大丈夫。
 ぼくが書くものだからそんなに堅牢に残ってくれなくてもいいのだが,紙が紙の体裁を保っている間は,黒鉛の文字は文字として残る。鉛筆は大したヤツなのだ。

● 特に,短くなって補助軸に挿して使うようになった鉛筆には何とも言えぬ趣がある。風格すら感じる。高級万年筆にも劣らない筆記具としての風格。 
 ここまて言うと,贔屓の引き倒しになってしまうだろうか。

● では最初から補助軸を使えるように,ハーフサイズの鉛筆を使えばいいか。それはちょっと違う。
 鉛筆のフォルムとしての美しさは,未使用の17㎝超の鉛筆を削って使い始めるその刹那に最もわかりやすく感じることができる。あの長さが必要なのだ。ハーフサイズではそこを味わうことができない。
 補助軸なしで使う期間がなくてはいけない。それがあってこそ,短くなった鉛筆の風格もある。

● 1本の鉛筆を使い切るのは,けっこう長い旅になる。どんなに頑張っても1ヶ月はかかる。
 鉛筆だから1本だけを使うわけではなく,何本かを同時並行で使う。何ヶ月も同じ鉛筆を使い続けることになる。

● 同じノートを使っていると飽きることが時にあるが,ノートは比較的短期間で使い終えるから,目先を変えることをしやすい。
 鉛筆は飽きることはあまりないのだが,もしあったとしても,最後まで使い切ることを優先させると,なかなか途中で替えるわけにはいかない。

● が,途中で替えてる人が少なくないと思う。その場合の “替える” は “それ以上使わないで捨てる” ことと同義の場合が多いだろう。
 鉛筆があまりに安いから,そういうことが気安くできる。

● 小学校では半分になるまで使ったら新しい鉛筆に替えるよう指導しているところが多い,と聞く。残り半分になった鉛筆が家庭に溜まっていく。
 その一部がメルカリに出てくる。それを買えば,一生分の鉛筆を2,3千円で賄えるのだが,小学生を卒業した後で補助軸を使っている人はどれくらいいるのだろう。小学生のときに受けた指導に従っている人が多いんじゃないか。

● それでは鉛筆を使う醍醐味のあらかたを捨ててしまっていることになると思うのだが。
 補助軸を使っている人でも,ハンドル式の鉛筆削りで削れなくなったらお役御免にしているのではないか。効率から考えると,それが合理的かもしれない。
 のだけれども,たまに合理を離れてみることがあってもいいんじゃないかと思ったりはする。

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