2014年7月13日日曜日

2014.07.13 ぼくにモレスキンは不要

● モレスキンユーザーになぜモレスキンなのかを訊ねてみたいと思っていたら,ネットで次のような意見に出逢った。ユーザーの代表的な意見と見ていいのだろうか。
他の廉価なノートではない,高価なノートだからこその,殴り書きができない記録ノートとしての価値が価格によって培われているのがモレスキンの最大の良さだと思う。面積あたりの1ページのコストはあまり考えたくないが,良い物を使っている満足度は高い。たとえ,中国製であったとしても…。また,文房具であれば,庶民でさえも,そんなエグゼグティブな高みを夢見させてくれる。クルマや時計の世界とは違う。多大な偉人たちと同じツールを使うことによってのオーラにあやかりたいのだ。
● 殴り書きができない良さというのは,盲点をつかれた感じ。そういうことはあるかもしれない。ていねいに使うことを価格が強制してくれる。ていねいに使うことの価値。そうして使い終えたあとの1冊のノートの価値。
 ぼくは,雑に扱えることがノートの肝だとしか思っていなかったんだけどね。

● でもね,それを価格によって強制されるのは面白くないぞ。
 それとね,ノートに殴り書きを続けるのは,ファイティング・スピリットを要求される作業だよ。ダイスキンにだって殴り書きを続けることはなかなかできないと思うよ。

● ぼくの場合だと,殴り書きをするのは,電話を受けながら内容をメモするときだ。それ以外ではあまりない。
 で,電話のメモってノートには書かない。反古になったコピー用紙の裏側を使う。A4のコピー用紙を4つに切って,ダブルクリップでとめておく。それに書いているんですけどね。
 多くの人がそうしてるんじゃないかと思う。で,殴り書きをするのはその反古紙にだけ。

● もう一点,ていねいに書くのであれば,万年筆を使って書きたいと考える人がかなりの数,いるんじゃないかと思う。
 ところが,モレスキンは万年筆では書けない仕様になっている。裏に写してくれちゃうんだから。
 モレスキンじたいが,ていねいに書かなくてもいいよと言っているようなものではないか。

● オーラにあやかりたいというのも,よくわかる。自分を顧みても。
 ただ,それって典型的な大衆性だよね。頑張って克服しなきゃいけない対象だと思う。
 そう努めないと,メーカーのマーケティングにいいように操られるだけだっていう,これまた面白くない結果になりそうだ。

● というわけで。上記の意見がモレスキンユーザーの最大公約数だとすれば,ぼくはモレスキンユーザーでいたいとは思わない。なんかスッキリしちゃったな。
 只今使用中のモレスキンを使い終えたら,永遠にさらば,モレスキン,っていう気分になった。

● と,控えた言い方をしたけれども,使い始めた初日に自分には無縁なものだと思った。
 ただ,ダイスキンとの価格差を考えると,モレスキンには何かあるんじゃないかと思いたかったのも事実。
 しかし。断言する。何もない。

● モレスキンを開くのが楽しくなって,書きたいことが吸い寄せられるように浮かんできて,どんどん書けるというようなことがもしあれば,コストパフォーマンスは一気に改善されることになる。
 が,今までのところ,モレスキンにそこまでの魅力は感じない。ダイスキンに比べてワクワクするとかウキウキするとか,そういうことはない。
 モレスキンは筆記具を選ぶので(万年筆は使えない),むしろ書く楽しみを制限するところがある。

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