2024年11月18日月曜日

2024.11.18 ひとり遊びが老後を決する

● ほんっとにどうでもいいことを書いてるわけですよ。しかも,同じことを何度も書いてたりする。同じところをグルグル回ってる気もする。
 けど,手書きは楽しい。これさえあれば老後も怖くないし,友だちも要らない。小学校で字を教えてもらって,ほんとに良かったなぁ。

● 自宅でも外でも,机やテーブルがあるところならば,自分ひとりで完結できる趣味というのか愉しみを持てたことはラッキーだった,と思っている。
 小さなノート(大きくてもいいが)と鉛筆があればできる。場所を選ばない。

● 詰将棋と解くとかクロスワードパズルとか,ひとりで完結できる趣味はいくらでもある。お金がかかってもよいのであれば盆栽なんてのもあるし,身体ひとつでできる運動系の愉しみもあるだろう。
 ノートに手書きで何かを書くというのが唯一最上とはさらさら思わないけれども,ぼくの場合はこの趣味になった。

● 趣味と言ってよいと思う。効用は何も期待していない。
 以前は違った。何らかの効用を期待していた。憂さの捨て所というか,自分の中にあるものを紙のうえに吐き出してスッキリしたいと考えていたし,その時々の出来事やそれに対する自分の反応をとりとめなくでも書いておけば,後日,何らかの役に立つことがあるかもしれないなどと思っていた。

● が,自分の喜怒哀楽を上手に吐き出すのは言うほど簡単ではない,と気づくのにさほどの時間は要しなかった。自分にとってシリアスなことを書くには,“強さ” が要る。
 それができるのが,プロの物書きにとっては初歩の初歩なのであろうけれど,ぼくはそのスタートラインにも立てない。およそどうでもいいことしか文字化できない凡庸な人間だった。

● ここから話の方向が変わる。
 憂さもあまり積もらなくなった。憂さのほとんどは人間関係から生じる。その人間関係をきれいさっぱり捨てることができる境遇になった。
 仕事(組織)を離れることの最大のメリットを今は享受しており,基本,ステレスフリーだ。

● 会社を定年になって出勤しなくてもよくなると,やることがなくなり,依るべき組織もなくなって,何をしていいのかわからなくなり,結果,鬱的状態に陥る人もいると,ものの本には書いてあるのだが,ぼくには信じられない。
 ストレス源がなくなるのに,なぜ鬱になるのか。ぼくはもの心がついてから,今が一番愉しい。

● 後期高齢期になると身体にガタが来て,自分の身体を自分が思うところに移動させることも難しくなるかもしれない。そうなればなったでやりようはあると思うけれども,今はそういうこともなく,身体的移動を制限する内在要因はない。
 時間と自由があって,ストレス源はない。最高だ。

● 50代の現役諸君には,完全引退後は天国だと思って,もうひと踏ん張りしてもらいたいものだ。
 ただし,絶対条件がひとつだけあって,夫婦仲は円満でなければならない。もしそうでないなら,今から努力するか,どうしてもそれが叶いそうにないなら,離婚も視野に入れて環境改善を考えた方がいいと思う。

● 独身ならばその心配はないから,話は簡単だ。お金を使わずに時間を消費できるひとり遊びをいくつか作っておくだけでよい。
 定年になって時間ができたらアレをやろうコレをやろう,というのはあてにならない。忙しいからという程度の理由でやらないでいられるようなアレやコレは,時間ができてもやらないで終わる公算が大きいからだ。

● 本当に好きなことなら,忙しくてもできる範囲でやらずにはいられないはずだ。現時点で現にやっているアレやコレがないといけない。
 定年になったら思いきりコレができるんだなと,正月を待つ子供のように,定年が来るのを楽しみに待っているというふうでありたい。

● その状態に自分を持っていくのが50代の課題なのであって,定年になってから動くのでは遅すぎる。
 定年後がどうなるかは,定年になった時点で勝負はついていると思うべきだ。

● 定年後は女房とゆっくり旅行したいなんてのは,何も考えていないのと同じだ。女房はそう思っていないかもしれないし,そうそう旅行ばかりしていられるほどのお金が,サラリーマン上がりにあるわけがない。
 何より旅行は飽きる。行先は無数にあるから次から次へと行けばいいと思っているなら,甘い。旅行という行為じたいに飽きるのだ。

● 飽きないで続けられるのは,お金をあまり必要としないが,多くの時間を必要とするひとり遊びだ。
 いや,自分は気のおけない友人と行くゴルフに飽きることはない,と言うならそれもよかろうが,その友人が同じ会社や取引先の人ならば,定年とともに友人関係も終わってしまう可能性を考えておくがいい。

● ぼくは若い頃から友人を作ることにまったく不熱心だったので,多くを語る資格はないが,誰かと一緒でなければできない趣味や愉しみでは,定年後を乗り切ることはできないと思っている。
 唯一の例外は配偶者だけだ。だから夫婦間を円満に保っておくことは必須なのだが,その前に,配偶者なしでひとりでできる遊びを遊んでいる,という状態を今から作っておくことだ。年金や退職金の計算をしている暇があるなら,そちらに意を用いるべきである。

● あと,男性の場合であれば,女にモテるというのがけっこう大事なことになるかもしれない。女性なら男にモテる必要などサラサラないと思うのだが,残念なことに,男性の場合はモテるかどうかが自己重要感に大きく関わるような気がする。
 モテるといっても,もう若くはない(生殖不可能)なのだから,特定の女性とスリリングな関係になるというようなことではない(なってもよかろうが,そこは当然,自己責任でお願いしたい)。

● ここでモテるというのは,年齢を問わず,女性に普通に話をしてもらえるということだ。たとえばホテルのスタッフであったり,近所の奥さんであったり,行きずりの人と普通に話をしてもらえる,普通に会話ができる,ということ。
 もしできるのなら,それを「モテる」と言っていい。

● 何だ,そんなことか,容易いことだ,と思えるならけっこうだ。が,相手に無理をさせないで,短い会話ができる60代以上の男性がそんなにいるとは思えない。
 だからこそ,それができると,いろんなところで生活が華やぐことだろう。

● しかし,50代になっていては,モテないやつがモテるようになる可能性は,絶望的な数値でしかないかもしれん。その場合は,ひとり遊びの愉しみに没頭することだ。
 没頭していると,ひょんなことからモテる数分間が訪れるかもしれない。そう思うしかない。いや,そう思いたい。頑張ってくれたまえ,50代の諸君。

0 件のコメント:

コメントを投稿