2018年12月17日月曜日

2018.12.17 手帳の魅力の拠って来たるところ

● 文具店や書店に行くと,手帳売場を覗く。この時期,すでに各社の手帳は出揃っているし,すでに何度も見ているものだ。何より,自分の手帳はとっくに購入している。
 でも,見てしまう。そうさせる魅力が手帳にはある。一人で何冊も買って,複数の手帳を使っている人もいるらしいのだけど,それも必要性や実用性からそうしているというよりも,この手帳の魅力に抗しがたいからではないだろうか。

● では,その手帳の魅力はどこにあるのか。1年分の時間を可視化可能にしているところだろう。可視化できるから,その1年分の時間を支配できるかもしれないと思わせてくれる。
 そこに手帳の魅力の源泉がある。手帳は時間の支配力を自分に与えてくれるかもしれないツールなのだ。

● Googleカレンダーができても紙の手帳が廃れないのは,紙の手帳の方がその支配を実感できるからではないか。
 いろんなタイプの手帳があるのは,支配の仕方の多様性を提供するためだろう。煮るか焼くか炒めるか。天日で干すか塩漬けにするか酢でしめるか。多くの料理法があって,そのそれぞれに合った道具をメーカーが考案して消費者に提示しているのだ,と考えるとわかりやすい。

● ところが,消費者の方はどれが自分に合っているのか,なかなか決められない。右往左往する人もけっこういそうだ。
 毎年,取っ替え引っ替えする人もいれば,どれがいいかわからないから(すべての手帳を試してみて,そのうえで決めるなんてのは,できる相談ではない)そこに居直って,最初に使ったものをずっと使い続ける人もいるだろう。ぼくは後者のタイプなのだが。

● 時間を支配する。何と魅力的な響きだろう。時間を支配できれば,人生を支配できる。自分が時間の奴隷になるのではない。時間を自分の奴隷にするのだ。
 しかし,時間は手強い。手帳などせせら笑うように,ときに荒々しく,ときに疾風怒濤の勢いで,容赦なくぼくらを蹴散らして流れていくのだ。

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