2018年12月28日金曜日

2018.12.28 代官山の蔦屋書店に行ってみた

● 蔦屋書店は銀座のG-SIXに入っている店を二度覗いたことがあるだけだ。で,次のように思っていた。
・たしか,総帥の増田さんが団塊の世代がターゲットだと発言していた。団塊世代をターゲットにしているようではどうなのか。遊び圏におけるTDRにはなれないと思う。
・銀座店に群がるお客について。ああいうところで何かを購入するのは,モノの価値がわかるからというより,単なるミーハーだからじゃないか。 そう感じるのは,こちらの育ちの悪さが主な理由であるかもしれず,CCCの顧客ターゲットからは大きく外れているからかもしれないんだけど。
・映画はネットでタダかタダに近い価格でいくらでも見ることができるのだ。わざわざDVDを買ったり借りたりする必要がない。そういうものを財産として持っていたいという阿呆は,そもそも論外に置いていい。
・生活提案型を標榜して,ライフスタイルを形に作って見せても,形そのものは売れない。形のパーツであるハードを売って儲けなければならないのではないか。 しかし,そのハードが売れるかというと・・・・・・ハードはAmazonと競合する。しかも,映画を相当に高い解像度で見る,音楽を相当にクリアな音質で聴くというそのことが,そんなに大げさなハードがなくてもできてしまう。
・大昔に流行った応接間や書斎の不毛さにすでに多くの人は気づいている。コストパフォーマンスのみならず,スペースパフォーマンスを考えるだろう。 応接間は応接間以外を客に見せないためにあったものだが,今は家に客を呼ぶことがないのだ。
・富裕層がああいうところでお金を使うとも思えない。富裕層に憧れている貧困層が集う場所のように思える。富裕層はムダなお金を使わないから富裕層なのだ。富裕層に憧れる貧困層は使えるお金に限りがある。そもそもスペースが足りない。
・生活提案の余地はそんなにあるものではない。基本的な機能以外はアウトソーシングするという方向もあるだろう。優雅さを味わいたいなら,ホテルやレストランに行く。それこそ蔦屋のような生活提案型のショップに行く。それで需要は満たされる。蔦屋をショールームとして利用し,実際の購入はAmazonで行う。
・よほどとんがった提案じゃないと消費者に刺さらないのではないだろうか。一方,とんがってしまうと刺さる範囲は狭くなる。
● 本の並べ方は独特。書棚にあまり近づかないで,距離を取って眺めた方がいい。
 文具売場には普通の店では置いていない,ジーノダビドフやカヴェコの万年筆,レッツやLACONICの細長い手帳があったりして,さすがは蔦屋的な存在感がある。
 が,モレスキンもあってね。こういうのは凡百の文具店にお任せしてもいいのでは。蔦屋でもこれは売りたい商品なんだろうか。求めるお客が多い?

● 映画のDVDや音楽のCDの品揃えも圧巻。クラシックに関しては,これだけのものは見たことがない(ただし,ぼくは渋谷のタワレコには行ったことがない)。
 ここを利用できる人にはこちらは対抗のしようがないような気がした。蔦屋が蓄えているノウハウは途方もない。それくらいのことは,ぼくにもわかるのだ。
 が,この分野で現物を扱っていたのでは,いつまで安泰でいられるか。そのあたりは先刻ご承知で,打つべき手は打っているんだろうけどね。

● 知と遊の一大集積地という印象。ネットの“ほぼ日”をリアルに落としこむとこんな感じになるのかな,とも思った。
 ミューズメント施設でもある。1日つぶせる。ただし,お金はそれなりにかかるだろう。いや,それなりのお金をかけてもいいと思っている人が来るところだ。

● 銀座店とは違うという印象を持った。銀座店は(少なくともぼくには)とりつく島もない。が,ここはそうではなくて,自分がいてもいい場所のように思えた。
 といって,鄙に住む身としては,そうしばしば来れるところではない。鄙にいて,ここに対抗できるだけの情報環境をどう整えるかを考える方が話が早い。

● で,じつはもう整っているのだと思う。いくら本やCDやDVDに取り囲まれていても,ひとりの人間が読める本,聴ける音楽,見られる映画には限りがある。その“限り”以上のものは鄙にもある。
 いや,そういう話ではない。インターネットだ。インターネット上にある。
 蔦屋にとっての脅威もここにあるように思う。インターネットを賢く統御して使える人が増えることが,蔦屋の脅威。
 とは,何も知らない素人が考えそうなことか。そういう単純な話ではないんだろうか。

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