2018年12月29日土曜日

2018.12.29 東京散歩 銀座

● ホテルからの帰途,新橋で下車。新橋も港区。港区といえば,赤坂をはじめ,白金,麻布,六本木,虎ノ門と,ハイソかつファッショナブルな街というイメージがある。いや,イメージだけじゃなくて実際もそうなのだと思うが,それらの街がハイソでファッショナブルであり続けるためには,新橋の存在が欠かせないと思う。
 新橋は港区の異物ではなくて,新橋があればこそ,港区が港区でいられるのだ。

● 久しぶりに銀座を歩いてみようと思う。まずは並木通り。正月準備は完了している。
 並木通りは,パリのシャンゼリゼ通り(の歩道部分)よりよほどきれいだし,センスがいい,とそちこちで触れ回っているんだけど,賛同者がいない。
 ここのいいところはもうひとつあって,中国語の騒音がないことだ。ひと頃,静かな中国人というこの世のモノとは思えない人たちが増えて,ヘェェーと思っていたのだけども,また元に戻りつつあるように感じる。

● 並木通りにある銀座LoFt。文具売場は5階。手帳博を開催中。
 LoFtが扱っているのは,ほぼ日手帳だけではない。ほぼ日手帳だけではないけれども,ほぼ日手帳関連商品がこれほど揃っているのを見たのは初めてだ。
 5年手帳の贈り物セットも置いてある。宇都宮にも上野にもなかったので,これはほぼ日ストアのみの取扱いかと思っていた。
 銀座ではこれを買う人がいるということなのだろう。上野や宇都宮にはいないと見込んでいるわけだろう。その見込みはおそらく正しいのだろうから,やはり銀座は違うのかなと思う。

● その銀座LoFtでも能率手帳ゴールドは置いていない。客層が若いというか,基本は非爺婆向けの軽妙な品揃えを考えているように見える。
 実際,能率手帳ゴールドを買う人は,ここではなく丸善に行くだろう。ゴチゴチの保守層はLoFtには行かない。

● つい商品を見てしまうが,お客を見るのも面白い。
 あり得ない低品質をあり得ない高価格で売っているモレスキン。ここではノート,手帳のほかに,バッグやiPhoneケースまで取り揃えている。
 こういうのを買うのはどんな人なのか。しばらく観察してみた。売場に来るのは30代のカップルが多かった。次は40代女性のソロ,30代男性のソロ。
 10代や20代はいなかった。値段が値段だから,10代がいないのは当然として,20代がいないのは心強い。若者は普通に賢いのだと思う。

● 中央通りには人間が滞留していた。主力は東洋系外国人。
 こちらには伊東屋がある。LoFtで精力をだいぶ使ってしまったので,ここは素通りするつもりだったんだけど,1階に相当な人溜まりができている。ので,1階だけサッと見た。外国人が多い。日本製文具も日本を代表する文具店の伊東屋も,日本の大きな観光資源であるのかもしれない。

● 時間をかけて端から端まで見て歩くのであれば別だが,買いたいものがピンポイントで決まっているときはちょっと困る。何階に行けばいいのかわかりづらい。常連さんには勝手知ったるわが家の庭のようなものかもしれないが。
 というか,ぼくなんかダイスキンとPlaisirですんでしまっているんだから,本来,伊東屋の客ではないんだが。

● G-SIXの蔦屋書店へ。過去に2度来ているんだけども,ぼくには別世界で手も足も出ないと思った。が,昨日,代官山の店を見て,もう一度だけ確認してみたくなって。
 で,確認したところ,代官山と変わらないのではないかと思えた。扱っているジャンルが狭いだけで,置いてあるブツは共通のようだ。こちらにも少ないながら文庫も新書もあるのだった。過去2回は何を見ていたのだろう。

● 文具売場。初めてここに来たとき,450万円の万年筆があったのだ。ぼくが値札の数字を読み違えただかなのかもしれないんだが。
 今日見たら,100万円が上限だ。蒔絵が施された工芸品の万年筆。こういうものを買うのは好事家に限られるから,問題にする必要はない。好事家というのは必ずいる。
 日常使いすると思われる万年筆だと,70万円が最高値のようだ。何だ,大したことないじゃん。

● 同時に,銀座のこの場所で代官山と同じような商売をしていて,テナント料を払ったうえに利益を出せているのかと,他人事ながら少し心配になった。
 しかも,ここはスタッフの数がけっこう多い。普通の書店や文具店に比べると,だいぶ多いような気がする。これだけのものを売っているのだから,そうせざるを得ないものだろうけれど,人件費もそれだけかけているということだ。

● 蔦屋が言うところのコンシェルジュなのかもしれない。しかし,自分が読む本を自分で決めることができずにコンシェルジュの助言を求めるようでは,すでにしてダメではないか。そういう人を顧客にするという戦略でいいのか。
 いやいや,このコンシェルジュは君が思っているようなものではないのだよ,もっとずっとハイレベルのものなのだよ,と言われるんだろうか。

● 総帥の増田さんは,団塊の世代に期待していたはずだ。団塊の世代は,それ以前の年寄りとは違う。いいもの,本物を知っている。しかも,数が多い。彼らを取り込めれば充分に商売になると,どこかで語っていたと記憶している。
 しかし,その団塊の世代はフロアに1人もいなかった(いや,1人や2人はいたかもしれないが)。ま,彼らは年末年始や休日ではなく,平日にやってくるのかもしれない。

● そもそも団塊の世代に期待をかけるのはどうなのか。彼らは本当にいいものを知っているのか。文化や遊びの洗礼を受けているのか。ぼくは率直に疑問に思う。
 彼らは日本全体が貧しかった時代に少年時代を過ごしている。人間,歳をとると子供の頃に受けた影響が露わになるのではないか。大人になってからのアレやコレは瘡蓋のようなものにすぎなくて,彼らの芯にはなり得ないように思う。

● 文化は若者が生むものだ。若者からだんだんと上の世代に浸潤していく。文化を生みだせなくなった年寄りにいったい何を期待するのか。
 彼らが好むものはしょせんは懐メロだ。後ろ向きだ。過去に生きようとするのだ。
 もちろん,そうじゃない人もいるだろう。しかし,その比率は,団塊の世代だから高いということはないだろう。

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