というより,そっちの方が長かったのだと思う。
● そもそも,すずさんがあの時代に鉛筆を使う生活をしていたということは,すずさんが中流以上の階層に属していたことを示すものではないか,と思ったりもする。
義務教育は定着していたわけだから,日本国民は誰もが読み書きはできたろうが,大人になってから日常生活で鉛筆を使うのはインテリに限られていたんじゃないか。すずさんは庶民よりは少し上等な暮しをしていたようだ。
● それが今では誰もがパソコンやスマホを使うようになっているのだから,思えば遠くに来たものだ。しかも,この変化はつい最近のことだ。インターネット,怖るべし。
鉛筆に至っては小学生しか使わないものになった。価格も安くなった。Hi-uni だって自販機の缶コーヒー1本分の値段しかしない。その鉛筆が1本あれば,相当書く人でも1ヶ月は保つだろう。とんでもなくコスパのいい筆記具だ。
● 物価の優等生ということで言えば,たぶん鉛筆が最右翼なのではないか。鉛筆兼業メーカーが次々に排除していったのも宜なるかな。
ともあれ,今の鉛筆はコストを意識しないで使えるものになっている。
● ぼくなんぞはその恩恵を目一杯に受けられる側にいるのだが,そうなればなったで,使いもしないのに大量の鉛筆を買い込んでしまったり,古い鉛筆を大枚叩いて買ってしまったり(とまで言っては大げさだが)している。
ぼくだけではないだろう。人はムダ遣いをやめられない。ムダに何だかんだと理屈を付けてしまう。ときには学術的な理由までデッチあげる。すずさんの前に恥じるがよい。
● ともかく,その昔は貴重品だったに違いない鉛筆を無造作に使える時代にぼくらはいる。昔に生まれていたら,今頃,呑気に鉛筆でノートにどうでもいいことを書きつけるなどという,優雅なことはしていられなかったに違いない。今の自分ではあり得なかった。
今の時代に生まれたことが,自分の一番のラッキーなのだと思う。この優雅さをタダ同然で味わえるのだ。
● お金を使ってする遊びは必ず飽きる。タダか極めて安価でできる遊びは,飽きることがない。これが正しいとすれば,今味わっている優雅な楽しみにも飽きることはないのだろう。
いたって大げさにいえば,それが自分の救いだ。よくぞ “手書き” を趣味にしたものだ。小学校の国語の授業で字を教えてもらって良かった。義務教育は役に立つ。

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