2025年10月16日木曜日

2025.10.16 鉛筆を万年筆に擬態させるミミックの発想は下品なのか

● ミミックを久しぶりに。気分を上げるにはやっぱ「ナンテン」。赤の威力。
 ミミックにはグリップにクロームとブラスがある。クロームは滑りやすい。ので,グリップだけブラスに替えてみるか。
 で,替えてみたのだが。ダメだ。受け軸はクロームなんだから,グリップと軸色が違ってしまう。これは耐え難い。これなら滑りやすさを我慢する方がマシだ。

● というわけなので,指が汗ばむときは「パシフィック」や「エボナイト」などのブラスグリップのものを使うことになる。
 実際の話,「ナンテン」にはクロームが色としては合う。単に見慣れているからかもしれないんだけども,赤にはゴールドよりシルバーの方がコントラストが際立っててくすみが出ない。

● 鉛筆は目下,Hi-uni のBを使っている。ここは多くの小学生とは違うところだが(と言っても,ぼくが使っている Hi-uni はメルカリで買った,最初から使いかけになっていたもの),いずれ9800や8900を使うことにする。小学生が使っているものを自分も使いたいという気持ちがどこかにある。 
 その理由は自分でもよくわからないのだけど,書くための装備は小学生が通常備えているもので充分なのだと思っているわけだ。それ以上は要らないものだ。

● にもかかわらず,供給側は手を変え品を変えて,余計な意匠を凝らした大人用の高価なものを売ろうとする。そういうものをぼくも買ってしまっている。
 パーフェクトペンシルとミミックだ。パーフェクトペンシルはそもそも不要なものであり,ミミックもクツワがあればぼくには要らないものだ。要らないものを買ってしまったことを恥じる気持ちがないわけではない。
 そうしたことは買って使ってみて初めてわかるわけで,致し方なしというところがあるが,今となれば使わずともわかるべきだったよな,と。

● ミミックなどはむしろ小学生にこそ使わせたら面白いんじゃないかと思うが,間違ってもそういうことにはならないから,ぼくにミミックは分不相応というより,過剰装備ということだ。過剰はない方がいいのだ。
 それじゃミミックはまとめて捨ててしまうかというと,当然,そんなことはできない。もったいないということもあるが,やはり買ってしまった以上は,使っていく責任が買い手にはあるし,ミミックは使っていきたい製品だからだ。

● 先に書いたことと矛盾するのだが,これは何だろうか。見栄だろうか。 誰に対して見栄を張りたいのか。
 ぼくは誰も見ていないところで1人で鉛筆を使っているし,使い勝手や機能性は学用品売場にあるクツワの補助軸と何ら選ぶところはないのだ。書くために鉛筆を使うのであって,ミミックを使うために書いているのではないはずなのだが。 

● 安いノートや筆記具に被せて高級品に見せる装置は昔からある。ミミックもその1つだといえる。万年筆に擬態させようと言うのだから。
 万年筆は高級筆記具の代表だろう。最近は百円ショップで売られている万年筆もあるくらいだから,安い万年筆もあるのだが,ミミックはそういうものは想定していないはずだ。

● 鉛筆は安い筆記具の代表。その鉛筆を万年筆のように見せようとするのがミミックだ。そもそもの発想が下品と言える。鉛筆は鉛筆でいいではないか。鉛筆は鉛筆のように見えるのが本当だ。鉛筆のフォルムには独特の美しさもあるのだから。
 それを万年筆に擬態させたいとは,鉛筆を使っていることを恥じているからではないか。それだけではないと反論されるだろうが,“恥 ” が含まれることは否定できないのではないか。

● 以上は,現にミミックを使っている自分にそのまま跳ね返ってくるものだ。さて,自分はそれにどう答えるだろうか。
 少なくとも補助軸として普通に使えるから使っているだけだ。補助軸にはいろんなものがある。そのいろんな補助軸からミミックを選択しただけのこと。鉛筆を使うことが恥ずかしいからそれを隠そうという気持ちは1ミリもない。たまたまミミックがそういう形状をしており,その形状が好ましいものに思えたから,購入して使っているだけのことだ。

● とでも答えることになるだろう。その答えに嘘が混じっているわけではない。鉛筆党の党員は,全員が全員,鉛筆を使うことに “恥 ” など感じていない。それくらいだったら,最初から鉛筆を使わない。
 ぼくはずいぶんナイーブなんだな。ミミックには小学生が使っている道具が醸す直截さがないのだ。余計な虚飾がどこかに紛れ込んでいるような気がするのだ。そう思いながらも,やはりミミックは使い続けるのだが。

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