ノートはサイズが大きいので,A6使いとしては当面使うことはない。ボールペンも。
● けど,安かったものでね。580円だったので。欲しかったのはシールだったんだけどね。
文具女子博に行ったことはないし,この先もないと思うので,文具女子博でどんなものが売られているのか,どんな雰囲気なのか,を味わう(味わえないと思うのだが)ヨスガになればという理屈を付けた。
● 入場料を払ったうえに,表紙の意匠が違うだけの限定品をお高い値段で買うことになるのだから,ケチ根性の強いぼくがわざわざ出かけていくことはない。
したがって,文具女子博の香りがするものを入手する手段はメルカリのみに限定。
● そのメルカリにはずいぶんといろんな文具女子博グッズが出品されている。雰囲気で買ってしまったけれどもやっぱり使わないというのが出てくるのだろう。おそらく文具女子博で買われたものの過半がそれに該当するのじゃないかと想像している。
文具女子博は浪費の場になっているのじゃあるまいか。そうして浪費こそが経済を支えているのだと勝手に思っている。ぼくのように少ない品種しか使わない人間でも,必要量をはるかに越えて買ってしまうという形で浪費をしている。
● 文具女子博に集まる人たちは,文具に遊びを見出している人たちでもあるだろう。文具は単なる実用品ではない。使うことじたいが遊びなのだから,必要かどうかなどあまり気にせず,ノリで買う。家に帰ってノリが冷めれば不用品になる道理だ。それがメルカリに出てくる。
文具女子博はお祭りでもある。お祭りなんだから財布の紐が緩むのは当然だ。ぼくはリアルの祭りもあまり好きじゃないので,そんなところに出かけていくのはあまり賢い人間じゃないと,斜に構えた見方をしがちにもなるのだけれども。
● 文具は実用品以上のものではない,遊びの対象になならない,と思っているわけではない。
文具は玩具になりやすい性格を内包していると思っている。実用品なのに,子供にとっての玩具的なところがある。
● 玩具なんだから,好きな人にとってはいくらあってもいいとなりやすいかもしれない。歯止めなんかかけないで好きなだけ,という人がいて当然だ。
が,ぼくはそれないれないということ。ケチ根性のせいだ。
● ともあれ,ポチった文具女子博グッズが届いたわけだが,過去にも Campus を中心に何度かポチっている。が,そろそろいいかなと思う。メルカリから文具女子博にチョッカイを出すのもそろそろ終わり。
文具女子博で販売された A6 Campus の5冊セットも出品されていたが,Campus の在庫もそれなりに増えたので,これ以上増やしてもとためらっているうちに誰かが買ったらしい。残念だったというべきか,買わずにすんでよかったというべきか。
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