小説家が出版を前提に書いた日記をいくつか読んだことがある。◯◯なり,と結ぶ文章を自分も書いてみるかと思うが,それを迂闊にやるとバカ丸出しになるのでね。とりあえず,自分のバカは隠しておこう。
● それよりも,これ,一度試みて挫折してるんですよね。3年目で挫折した。
 毎日どうでもいいことをノートに書いている。勢い,日記的雑記になるわけですよ。その他に連用日記に何か書こうとすると,何を書こうが,同じことをもう一度書くことになる。
 耐え難かった。よく3年も我慢したものだ。
● 日記的雑記のダイジェスト版を作るのはもっとつまらない。その日の動きを書くのは,手帳とダブる。ログは手帳に残しているので。
 というわけで,連用日記に独自の役割を持たせる方途が見つからない。
● うまく棲み分けができるといいんだけれども,連用日記を書くためにどう棲み分けるかを考えるのも本筋じゃないような気がする。
 同月同日の過去5年分が1ページにまとまっているのは,なかなかいい感じなんだけども,その “いい感じ” を手に入れるための代償が大きすぎては何をしているのかわからない。
● これって,表示の問題だから,デジタルの得意とするところでしょ。書くときは連続した1日単位だけれども,3年,5年,10年単位で同月同日のものを並べて表示できるようなアプリがたぶんあるんでしょ。
 とは言っても,日記をそっくりクラウドにあげることには心理的な抵抗がありますわね。そんなことをしたら,逆に綺麗事しか書かなくなりそうだ。他者の眼を意識しちゃうでしょ。
● 日記は紙に限るということでしょう。紙に書いたって,自分をさらけ出すことはなかなかできるものではないのだけど。自制がエンジンブレーキのように作動してしまうからさ。

 
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