2025年9月12日金曜日

2025.09.12 Seria にて

● 宇都宮某所のSeria。2㎜芯のシャープペンが替芯付きで110円。自動で芯が出て,芯折れ防止機能があるシャープペンも110円。
 もちろん,Made in China であって,チャチい感じがする。しかし,値段相応かというと,お値段以上であろうことは,これまでの経験知から推測できる。

● 「大人の鉛筆」なのか,おまえは,と言いたくなるものもあるし,「Dr.GRIP」なのか,おまえは,と言いたくなるものもある。
 すでに市場に受け入れられている製販のイミテーション,ありていに言えばパクリと思われる製品が多い。パクるのだから,開発費は先行メーカーが不安してくれているようなものだ。
 自身は負担しなくてすむ。同じものを中国で作ればいいだけだから,110円で販売できる。困ったものだよ。

大人の鉛筆?
● しかも,百円ショップの販売力はハンパなく強い。薄利でやっていける。さらに,現在の中国の製造能力はなかなかどうして大したものだ。
 こだわりがなければ百均で充分だよね,という声が聞こえて来そうなのだが,こだわりの有無にかかわらず百均で充分なんだよね,実際のところは。
 
Dr.GRIP?
● 誰だって,安い方がいいに決まっている。効用がたいして違わなければ,安い方を買う。
 それを押し留めているのは,自分が買おうとしているのが百均製品だということ,それ自体でしょう。自分は百均製品を使うような人間ではない(ありたくない)という,ほとんど根拠のない思い込みというか願望というか。

● そういうつまらない縛りから自由になっている人は女性に多い気がする。男も女性なみに解放されると,文具業界のかなりの部分は崩壊の危機に瀕するかもしれんよ。
 女性は百均製品も使うけど高額品も買う。男の場合は,百均でいいとなると,百均製品しか使わなくなる危うさがあるんだな。

2025年9月10日水曜日

2025.09.10 ほぼ日手帳の売場にて

● ほぼ日手帳。魅力的なプロダクツですねぇ。よくぞここまで。
 手帳カバーは3つ持ってるし,方眼ノートや横罫ノート,テンプレート,下敷,クリアファイルは買った。が,手帳本体を自分のために買ったことはない。

● 1日1頁の手帳は,事実上,ほぼ日が先鞭を付けたものたと思うが(トモエリバーの知名度も高めた),最近は1日2頁手帳なんてのもあるんですね。
 ミドリが出している。文庫本サイズで1日2頁の筆記スペース。5,170円。

● でも,買いません。スケジュール欄は当然,有限であるべきだけれども,1日のメモ欄は有限であってはならない。必要に応じていくらでも増やせなくては困る。
 したがって,スケジュールとメモは分けるべし,メモには単体のノートを用意すべし,というのが,ぼくの基本方針。こうしておけば,メモスペースは事実上無限大になる。
 手帳には中途半端なメモページが付いているが,これは本当に余計なもの。といっても,どうしてもできてしまうものでしょうけどね。

● ほぼ日手帳を自分のために買ったことはないんだけれども,もし買うとすれば5年手帳かなぁ。
 ただ,続く気がしない。以前,無印の「上質紙 1日1ページ ノート」を使って,6年連用日記(1ページ18行だから,3行ずつ区切って6年分)を試みたことがあるんだけれども,3年目で完全挫折した。

● こういうのに “挫折” という大げさな表現を当てることが妥当かどうかは別にして,なぜ挫折したかといえば,自分にとってのメリットが何もなかったからだ。
 同じことを繰り返して書くことになるんですよ。そんなの面倒なだけだから,書かないで溜め込むことになる。後でまとめて書くことになる。毎日書いている日記的雑記を綴ったノートや手帳を参照しながら,数ヶ月前の6年連用日記を書くことになるわけですよ。バカでしょ,そんなことやってるヤツは。

● 無印の安いノートでやろうとしたからだよ,数千円のほぼ日5年手帳を使えば続くよ,やってみなよ,って,それはもっとバカだよな。
 結局,買うには至りませんね。魅力的なプロダクツであることは認めつつ,自分では使わない。

2025年9月6日土曜日

2025.09.06 さくらさくえんぴつ

● サンスターの “さくらさくえんぴつ”。1本433円は,津軽塗りが施されているといった特殊なものを除くと,国内で一番高い鉛筆ですかね。
 買う人,いるんですか? って,いるんでしょうねぇ。

● あまり勉強できない受験生が験担ぎに買うのかとまず思ってみたんだけれども,そうではなくて,幼稚園や保育園の卒園祝いとか小学校の入学祝いに使われることが多いんですかね。
 高校の合格祝いには向かないかもしれない。少なくとも男子に対しては無理筋っぽい。彼の気持ちはシャープペンに行っちゃってる。

● 自分用に買う人はあまりいないような気がする。メーカーも贈答用として購入してもらうことを念頭においているのは間違いない。
 財布の紐を緩めてもらうには,自分用ではなくて贈答用にするに限ると最初から思っている。そういう包装になっている。

● 昭和のみぎりは,中学校の入学祝いは万年筆,高校の入学祝いは腕時計というのが一般的だったが,現在では廃れているだろう。そうした一般基準は成立しにくくなった。
 今の子供たちは,iPhone を新調してもらった方がずっとありがたいと思うだろう。

● もっとずっと低年齢の子供たちが対象だとしても,鉛筆が贈答用に使われるようになったのが,逆に新しい。
 Hi-uni や MONO100 がそうした用途に使われたことがあったのかもしれないし,今でも BLACKWING が贈答用に購入されることがあるのかもしれないけれども。

● と,ウダウダ言っているだけでは始まらないので,じつは買っておいた。実際に使ってみたのだが,芯が減らず,なかなかいい鉛筆だ。
 たとえば Hi-uni や北星クラフツマンに比べると,筆記抵抗がやや大きい気がするが,これを抵抗と言ってしまっていいのかどうかはわからない。芯はオリエンタル産業のものだと思うが,価格差を考慮すればクラフツマンを選択することになる。

● 価格差を考慮しなくてもクラフツマンか。削りカスも桜の花びらのようになるらしいのだが,軸に頂が5か所あり,その頂に筋を入れている。花びらのように見せるための芸が細かい。
 そういう遊びが好きな人にはいいのだろうが,ぼくはそういう風流に遠い位置にいるので,あまり響いて来ない。当然,ハンドル式の鉛筆削りを使っては,花びらもクソもあったものではない。

● 削りカスも桜の花びらのようになるというどうでもいいことを除いて,単純に鉛筆として見れば,433円の価値はない。
 ノーマルユニよりはいいんじゃないか。しかし,Hi-uni やクラフツマンには劣ると思う。Hi-uni が165円なのだから,もし自分が使うつもりなのであれば,黙って Hi-uni を買っておけと言いたい。
 気持ちザラつき(抵抗)があった方がいいし,筆記音も楽しみたいという人にはいいかもしれない。ぼく一個はそのために433円を払う気にはならないが。

● 繰り返しになるが,メーカーも贈答用に買ってもらうことを想定しているだろう。贈答用なら財布の紐を緩めてくれるだろうという前提での値付けかと思う。
 ニッチ商品の典型的なもので,したがってそんなには売れていないだろう。メーカーもそれで良しと割り切っていると思う。

2025年9月4日木曜日

2028.09.04 人はなぜ高額商品を買うのか

● 手帳は去年から Bindex をやめて,百均手帳に移行した。それでまったく不都合を感じていないので,来年も百均手帳を継続するつもりで,すでに手帳本体も購入し,スタンバイ作業(パンチで穴を開け,ビニールパッチで補強する)も完了した。
 バインダーもお茶の水の丸善で買った,赤いビニール製のものをメインにしている。外出の際に持ち出すのはそれだ。
 保存用バインダーも百均で売っているものを使っている。ケチなものだから,安さ優先。

● けれども,文具店には革製の高級なのが置いてあり,それを買う人がいる。
 いや,自分自身が以前はそういうものに惹かれていた。今となっては,どういうわけでそうだったのか忘れそうになる。

● 機能的には百均で満たせるものに,なぜその何百倍もの資金を投じるのか。
 それを使うことに満足を覚えるからだろう。では,機能は同じなのになぜ満足を覚えるのか。

● 肌触りだとか,色合いだとか,デザインだとか,理由はいくつか考えられる。それを過小評価すべきではないと思うのだが,それらを使うことによってステイタスを得られる(ような気がする),自分の所属する階層が上がるような気がする。そういうことかもしれない。
 そのことを確認する手段は,それを他者に見せて,他者からの反応を確認することによって行うしかないはずだが,その他者には自分も含まれる。
 自分ともう1人の自分という他者との相互作用の中で,その確認過程が進行する。

● 人の行動は快不快の原則(快を求め,不快を避ける)で理解できると思っているのだが,快や不快は行う行為じたいに内在することも当然あるけれども,その行為が介在することによって生じる他者との関係性において立ち現れてくることが多いと思う。
 他者には自分も含まれるので,リアルの他者がいなくても,自分だけで快の増進過程は成立する。リアルの他者からの反応があれば,もっと迅速に進む。結局,そういうことかと考えてみる。

● 自分は定年退職という強制される措置によって社会や世間から切り離され,そのことを喜んでいる。他者との相互作用から自由になれたかとが嬉しくて仕方がない。というか,他者の反応に興味がなくなっている。
 いわゆる高級品に興味がなくなったのは,それが理由であろうかと思う。

● ただし,自分がそういう境遇だからといって,それが成長後の到達点のように考えるのは間違いだ。成長とは関係ない。
 境遇が変わったことによる単なる変化だ。そこに善悪や正誤はない。

● ぼくも自己中心主義から脱し切れず,自己を相対化するのが弱いところがある。これは今後の努力目標になる。
 他者の眼を意識して,そこに快の源を求め,高級・高額商品を使いたがる輩を下に見たがるところがあるが,それは甚だよろしからず,ということ。

● たとえば,デザインフィルのプロッターのA5サイズの薄型バインダーを見て,これいいなぁと今でも思う。トラベラーズノートのバインダー版の趣がある。
 現在使用中のビニールバインダーに代えようかとまではもはや思わないけれども,これをメインのバインダーにするのも悪くないなとは思う。

● リング部が剥がれやすいとネットで見たことがある。一枚皮がよれてしまわないかと気にもなる。
 そこがいいのだと言う人もいると思うのだが,結果的にぼくはパス。だけども,カッコいいとは思う。少なくとも,タダでやると言われれば受け取るもんね。くれる人はいないと思うけど。

2025.09.04 ビジネス手帳雑感

● ラゾーナ川崎の丸善にはまだビジネス手帳のコーナーはできていない。LoFt にはあるけど。
 ほぼ日手帳 weeks やキャンパスダイアリー,ジブン手帳の来年のやつはある。写真のようなおバカ手帳もある(この種のおバカ手帳は昔からあるし,これからもあり続ける。なぜなら,人間はおバカな生き物だからだ。ただし,そんなには売れていないと思う)。
 が,高橋書店や能率協会のは並んでいない。

● 丸の内本店にはあるんでしょうね。地域差はあるんでしょ(当然,宇都宮の書店にもまだない)。
 しかし,去年までは速攻で並んだような記憶があるんだが。ほぼ日手帳が出る前にビジネス手帳の売場が出来あがっていたような気がする。記憶違いだろうか。

● ビジネス手帳を売る気はあまりなさげにも映る。いずれ並ぶんだろうけれども,そんなに慌てないよ,ということか。
 できれば扱いたくないんだがなぁと思ってるんじゃないかと勘ぐってしまう。手帳をピックアップしてレジに持って行くところを目撃したことがない,というのもその勘ぐりの理由になっている。

● ビジネス手帳というのは,人口比以上に都市部(特に首都圏,大阪圏といった大都市圏)で売れるものだと思っているのだが,高橋でも能率でも,各県別の実売数を公表してくれないものか。
 ネットを探せば落ちている? たぶん,このデータはなさげだな。実売数じたいのデータもないんじゃないかと思うんだが。

● どれだけ印刷して,どれだけ売れて,どれだけ返却されて裁断処分にしているのか。
 裁断処分している割合がシャレにならない率に達しているんじゃないかと,疑ったりもしているわけですよ。結局,その分も含めて,購入者がコストを負担しているわけだから。

2025年9月3日水曜日

2025.09.03 弱者に明日はない?

● 伊東屋では鉛筆は全て画材売場にあり,Standard Products では硬度別のクラフツマンは初回入荷分しか販売しない。12硬度セットと色鉛筆は常時販売。
 “書く” より “描く” にシフト。気持ちはわからんでもない。

● 今日は鉛筆を置いていない文具売場に遭遇した。画材は豊富にある。
 こういう売場を作ってみたくなるのも,わからんでもない。けれども,鉛筆を置いていない文具売場があるのは,けっこう来るものがある。ここまでになっているのか,というね。

● 川崎の地下街アザレアにある Standard Products にはクラフツマンのFだけはけっこう残っていた。が,そのFも残りわずかになっていた。
 クラフツマンの硬度ごとの補充をしない理由は解しかねる。12硬度を均等に使うことなどあり得まい。特定硬度の補充は許さない,補充するなら12硬度全部まとめてやってくれ,というのは販売業としては頭が高すぎると感じる。

● ところが,Standard Products に限らず,このやり方を採用しているところはけっこうあるようだ。最初からセット販売しかしないやつ。むしろ,その方が多いのか。
 三菱鉛筆やステッドラーは個別に売るのが原則で,セットも販売しますよという行き方のように見えるんだけれども,これは強者だからできることなのかね。

● 描く世界でも三菱鉛筆やステッドラーが採用されることが多いのは,個別硬度の補充がしやすいのも大きな理由だと思うのだが,それが強者だからこそできるのだとすると,強者は半永久的に強者であり続けることになりそうだ。
 セット販売しかできない弱者に明日はない。

2025.09.02 バカの看板を背負って外に出るようなもの

● これ(右の写真)はコクヨの広告。主には,“大人キャンパス” の拡販を狙ったもの。
 文具にこだわる大人はかっこいい,って本当か。ウスミットモナイじゃなくて,かっこいいのか。そうなのか。

● これはなかなか難しいところがありますよね。“こだわる” を前面に出してるヤツって,ウスミットモナイどころじゃないでしょ。
 こだわりはバカの証明だ,と言ってやりたくなった経験を持たない人は少ないんじゃないか。

● 自分は文具にこだわる人間だという表明は,もししたいのあっても,SNS に留めておけ,リアルではするな,というのが最低限でしょ。
 SNS はそのためにあると言っても過言ではない。リアルでバカのレッテルを貼られないためのバッファとして SNS は存在する。

● “こだわり” が高級,高額に傾くのも問題だ。おまえは持ち物によって自分に付加価値を付けるしか能がない人間なのか,と思われるのがオチだ。
 たしかにそうするしかない人間だよな,おまえは,と蔑みを買う結果になる。

● パーフェクトペンシルを外に持ち出そうとするヤツに特にそれを感じる。バカの看板を背負って外に出るようなものではないか。
 自慢は SNS 内に留めておけ。可能なら,SNS でもするな。ぼくが言っても,説得力はないと思うけどね。

● こだわりを捨てるのは容易じゃない。放っておけば何がしかの分野で何がしかのこだわりを持ってしまうのが,人間というものだ。
 美容院にこだわる,化粧品にこだわる,食事にこだわる(ヴィーガンとかさ),タクシー会社にこだわる,コロナ時にマスクにこだわる・・・・・・ことごとくバカの臭いがするが,それは致し方のないものだろう。こだわらないというこだわりもあるわけでね。

● ただし,“こだわらない” より “こだわる” が上位だと考えるのは,愚鈍という以外の言い方がない。こだわりは放っておいても,雑草のように生えて来る。こだわらないためには意思と知の力が必要だ。
 こだわりは基本的に恥ずかしいものだ。持ってしまうのは仕方がないのだが,それを口外するのは服を着ないで外を歩くのと同程度には恥ずかしいものだと心得るべきだ。

● というわけで,結論。こだわりは隠すべし。
 本当は伝えたいのだろうが,隠しても伝わるから大丈夫。