2025年3月3日月曜日

2025.03.03 鉛筆は残り何センチになるまで使われているんだろう

● 鉛筆は3分の1程度を使うと,一番使いやすい長さになる。半分になると,ぼく的には補助軸が必要。
 意外に補助軸を使う人は少ないのではないか。ので,半分使ったところで次の鉛筆に移ってしまう人がけっこういるんじゃないか。鉛筆は半分しか使われないで捨てられる(一部はメルカリに出される)ことになる。

● 実際,どうなんだろう。鉛筆は残り何センチになるまで使われているんだろう。誰か,フィールドワークをしてくれないかね。
 わかったからといってそれが何の役に立つか。何の役にも立たない。けど,実態を知りたい。

● ぼくは半分も使われないで捨てられているんじゃないかと思ってるんですけどね。いや,何となくそう思ってるだけですよ。
 もし,誰もがハンドル式の鉛筆削りでこれ以上は削れないというところまで使ったら,鉛筆の販売数は今の半分になるんじゃないか。携帯用鉛筆削りでこれ以上は削れないというところまで使ったら,3分の1になるんじゃないか。

● 鉛筆のメインユーザーである小学生様は飽きっぽい。仕方がない。これを大人目線で批判する人はまさかいないだろう。
 飽きっぽいという点では,じつは,大人もさほど変わらない。鉛筆を使っている大人はそもそもが少ないだろうけれども,やはり半分しか使っていないんじゃないのかねぇ。

● あと,鉛筆は本当に安くなった。Hi-uni でも165円だ。煙草ひと箱が600円の時代に165円だからね。
 かつては,ハイライトが80円の時代に Hi-uni は1本で100円だったわけだ。それだけ高ければ,工夫して短くなるまで使ったろうが,そのインセンティブは今では効かなくなっているだろう。

● 一番使いやすい長さは3分の1ほど使ったあたり。実際に使われるのは2分の1。
 ちなみに,鉛筆が一番美しいのは,未使用品を削って使い始める刹那。鉛筆のフォルムの美しさは,長さがあってのもの。

2025年3月2日日曜日

2025.03.02 長生きしたい

● 元気で長生きしたい。今のペースでできるだけ長く鉛筆とノートを使っていたい。
 できれば,この先30年くらい,今使っている北星9500のような良質な鉛筆で,Campus のような良質な紙に,他愛もないどうでもいいことを,思うさま,好きなだけ書き散らしていく幸せを,できるだけ長く味わってから死にたい。

● 買いすぎてしまった鉛筆とノートを使うことが長生きしたいと思う理由,モチベーションになる。
 モチベーションなど何でもいいと思っている。そんなものは不純でも俗っぽくてもかまわない。

● できれば在庫のすべてを使い切って,かつ,それらを処分して,後顧の憂いをすべて消去してから逝きたいものだが,そうそう上手く行くものではないだろう。
 死後に恥を残すのは,まぁ,仕方がない。自分が死んでしまえば世界も存在しないのだから,存在しない世界での死後の自分を考えることは無意味だ。

● 死んだ後に恥を残してしまうことを気にして,書くのをやめてしまうのが一番バカげている。
 “今を楽しむ” とは,“死後に恥を残すことを怖れない” とほぼ同義であろうと思う。

● まぁ,毎日が日曜日のロートルがあと30年も生きたいとは高望みも甚だしい。こういうのはなるようにしかならないものだ。だいたい,明日何が起こるかわからないのだから。
 なるようにしかならないものを考えても仕方がない。禅の世界で言う「莫妄想」はこういう局面でこそ問われるものだろう。

● 結論としては,そんなことは考えないで淡々と日々を過ごして行こうということ。
 で,できるだけノートと鉛筆の在庫を減らすように努めて行こう,と。