2025年3月31日月曜日

2025.03.31 Campus 50TH のステッカー

● 入るを完全に制するのは大変だ。文具店に行けば,メーカーがあの手この手で売ろうと仕掛けてくるしねぇ。売るのも大変だと思うけどさ。
 29日に川崎に行ったので,アトレに入っている有隣堂を覗いたら,文具売場の一画に Campus 50周年のコーナーがあった。シャープペンやハサミ,トートバッグなどが並んでいた。

● 一乗ひかるさんのステッカーがオマケでね。どれか買うと,そのステッカーが1枚もらえるわけですよ。
 このステッカーが欲しくなっちゃうわけですよ。ステッカー欲しさに,必要もないのに修正テープを買っちゃいました。ダメだねぇ。

● 今日は代々木に行ったので,帰りに新宿で降りて,世界堂を覗いてみた。世界堂創業85周年の測量野帳があったので,お買い上げ。
 ただし,880円はちと高い。モノ皆値上がるコロナ以後。

● Campus 50TH のコーナーももちろんあって,A6 Campus が5種あったので1冊ずつ買いました。通常48枚のところ,こいつらは30枚。しかも,253円。通常版は百均で110円で買えるのにね。
 フラット版? そういうわけでもなさそうだ。歴代Campus の表紙を再現した特別バージョンですか。

● Campus 50TH のロゴもないので,50TH とも関係なさげ。が,50TH のコーナーにあったのでね,ステッカーも遠慮なくもらってきましたよ。
 というか,ステッカーが欲しいからノートを買ったわけですよね。先日の分と合わせて,5種コンプリート。ステッカーはレギュラー版の測量野帳に貼るでありんす。

2025年3月29日土曜日

2025.03.29 他者を見るなということ

● 手帳やノートをどう使って行くか。他人はどうしているのかと気にしてしまう人は,それだけの人だ。
 その前に自分と問答を続けられるようにならないとね。

● 手帳やノートやペンの何を使うかは,たいてい,どうでもいい。どうでもいいことは,無駄に迷っていないでサッサと決めればいいだけだ。
 どう使うか,何をどのように書くか。そこが肝になるわけだが,これも何でもいいからとにかく書き始めてみることが肝要なのだろう。

● 合格体験記や勉強法の本や雑誌ばかり読んで,肝心の勉強に入れない受験生がけっこういるのじゃないかと思っているのだが(自分がそうだったから),自分に合った勉強法は実際に勉強を続けてみなければわからない。
 そんなことはわかっている。わかっているんだけれども,わかっているようにできない。そういうものだとは思うんだけどね。

● 特に,若いときはそうだよなぁ。他の人はどうしているのか,どうしたって気になる。自分の蓄積が少ない(というか,ない)。自分と問答しようにも,その手がかりがない。
 それでも勉強なら勉強,仕事なら仕事を実際に始めてみて,そこから自分と問答できる人が,いわゆる優秀な人ってことなんでしょう。
 
● いい大人になっているのに,まずこういう雑誌を読んでしまう人,他人がどうしているのか気になってしまう人は,ダメな人だ。
 ぼくもダメ人間で散々読んでしまったクチだが,無駄だったと断言できる。ま,あらためて断言するようなことでもないけど。

2025.03.29 入るを制す

● 10日に三度目のメルカリアプリ削除。使いもしないモノがどんどん溜まってしまう。主には鉛筆なんですけどね。安いものだから,ちょい昔に製造販売されていた鉛筆なんかをどんどん買ってしまうわけですよ。
 いくらでも自分に言い訳ができるでしょ。煙草一箱の半分しかしないんだよ,こんなの経済的にはしれてるよ,とね。

● ので,ずっとそれを続けていたわけですわ。結果,三度生まれ変わってもとても使い切れないほどのストックができてしまった。いや,十回生まれ変わっても使い切れないかもしれませんわ。
 誰かにもらってもらえればいいんだけれども,鉛筆なんか欲しい人はいないでしょ。タダでも要らんわ,と言われるでしょ。
 実際,今まで二人の人に打診してみたんだけど,素気なく断られましたよ。そりゃそうですよね。

● 鉛筆に限らない。万年筆もボールペンもシャープペンも芯ホルダーも,安物ばかりだけども,本数だけはけっこう以上に持っている。
 こちらも何回か生まれ変わらないと使い切れない。最後はどうせ捨てることになるのだから,ひと思いに今捨ててしまってもいいわけだけども,それがでしないのはひとえに貧乏性のゆえでしょうねぇ。

● 使わないモノは即ちゴミですよね。いくら安くてもゴミを溜めてどうする?
 というわけなので,今度こそ,再インストールはしないと心に決めた。実行できるか。

● それから約20日が過ぎたんですけどね。今のところ,メルカリアプリの再インストールはしないでするでいますわ。
 金を貯めたいなら「入るを量りて出ずるを制す」が肝になるんでしょうけど,モノを溜めないためには入るを制することが肝心の要ですからねぇ。

● この歳になると,モノ≒ゴミ が実感されるわけですよ。文具であれ,書籍であれ,骨董であれ,盆栽であれ,食器であれ,服であれ,鞄であれ,価格のいかんを問わず,モノは必ず捨てられますからね。
 メルカリに出すのも捨てるの一種でしょ。コレクション趣味もいい歳になったら卒業すべきものじゃないですかねぇ。

● 入るを止めると,趣味道(?)の勢いも削がれることになりがちではありますよ。
 けれども,その勢いを保つ意味があるのか。一考する値打ちはあるような気がしますよ。

2025年3月9日日曜日

2025.03.09 いくつかの鉛筆

● 鉛筆1本5銭時代(昭和10年代の前半?)の「海洋鉛筆」。15銭の「エベレスト鉛筆」が手元にあるが,それよりも古い。ぼくが持っている中では最古。
 この路線(古い鉛筆の収集)は採用しないつもりだけれども,メルカリで見かけてポチッちまった。使うことがあるとしても,相当先になる。

● STAEDTLER の tradition B〜6B。絵を描く人向け。つまり,ぼくには無縁なもの。使うとすれば3Bと4Bくらいか。

● 北星鉛筆をいくつか。まず,9800。
 ぼくが持っていたのは上の方。現行の9500に近い印字デザイン。
 それに対して下の方はその前のやつですかね。ユニ色っぽいのもあったんですか。一番下の短めのは番号が付されていない。こいつは何物ですか。

● 北星のキャラクター鉛筆を初めてゲット。9717番を与えられている。元になっているのは9800なんでしょう。硬度はHB。

● 北星9900。現在はダイソーで3本セットで売られている “かきかたえんぴつ” がこの番号を引き継いでいるが,これは番号なのか数字も含めて意匠なのか。
 元々の9900は,いわゆるひとつの憧れ。今のクラフツマンにつながっている?

● ただし,ダイソー版もかなりの品質を確保している。ダイソーに行くと三菱9800も3本セットを110円で買える。たいていのものは百均で間に合ってしまうという現実があるな。
 百均で間に合うものは百均で間に合わせればいい。それを邪魔する第一の要因は,自分は百均製品を使うような人間じゃないという誤ったプライドかな。

● MADE IN USA の ATLAS PENCIL。ゆえに,軸は細め。
 現時点では黒鉛芯の鉛筆は MADE IN JAPAN に限ると思っているので,使うあてはとりあえずない。

2025年3月6日木曜日

2025.03.06 Seria で0.7㎜の「鉛筆シャープ」を買う

● 某所の Seria。ここにはコクヨ「鉛筆シャープ」の0.7㎜があった。当然,110円だ。
 困るんだな。こういうことをされては。文具店と倍以上の価格差があるんだから。文具店で買って損したと思ってしまうじゃないか。

● ところで。文具店のと Seria のとでは規格が違う。写真の上が Seria。Seria の方が少し短く軸が太い。文具店版がより鉛筆に近い形状なのだが,扱いやすいのは Seria 版。これだけ太ければ太さを補う必要がない。
 ぼくの好みは Seria 版になるのだが,コクヨは文具店版と百均版を作り分けているのだろうか。メンドくない?

● が。前に地元のダイソーで0.3㎜の鉛筆シャープを買っているんだけど,こちらは文具店版と同じものだった。
 この辺のところはよくわからない。
 
● Seria でも Campus ノートは買える。文具店の約2/3の価格。
 大量に使う人は Amazon かカウネットでまとめ買いをするだろけど,そうでもない人だって百均で買いますな。

● けど,別のA6ノートを買った。「クラフトノートB罫2冊入り」と「ポケットノート 32枚 イラスト」を2冊。
 クラフトノートは40枚。ポケットノートはA罫。どちらも MADE IN JAPAN。

2025年3月3日月曜日

2025.03.03 鉛筆は残り何センチになるまで使われているんだろう

● 鉛筆は3分の1程度を使うと,一番使いやすい長さになる。半分になると,ぼく的には補助軸が必要。
 意外に補助軸を使う人は少ないのではないか。ので,半分使ったところで次の鉛筆に移ってしまう人がけっこういるんじゃないか。鉛筆は半分しか使われないで捨てられる(一部はメルカリに出される)ことになる。

● 実際,どうなんだろう。鉛筆は残り何センチになるまで使われているんだろう。誰か,フィールドワークをしてくれないかね。
 わかったからといってそれが何の役に立つか。何の役にも立たない。けど,実態を知りたい。

● ぼくは半分も使われないで捨てられているんじゃないかと思ってるんですけどね。いや,何となくそう思ってるだけですよ。
 もし,誰もがハンドル式の鉛筆削りでこれ以上は削れないというところまで使ったら,鉛筆の販売数は今の半分になるんじゃないか。携帯用鉛筆削りでこれ以上は削れないというところまで使ったら,3分の1になるんじゃないか。

● 鉛筆のメインユーザーである小学生様は飽きっぽい。仕方がない。これを大人目線で批判する人はまさかいないだろう。
 飽きっぽいという点では,じつは,大人もさほど変わらない。鉛筆を使っている大人はそもそもが少ないだろうけれども,やはり半分しか使っていないんじゃないのかねぇ。

● あと,鉛筆は本当に安くなった。Hi-uni でも165円だ。煙草ひと箱が600円の時代に165円だからね。
 かつては,ハイライトが80円の時代に Hi-uni は1本で100円だったわけだ。それだけ高ければ,工夫して短くなるまで使ったろうが,そのインセンティブは今では効かなくなっているだろう。

● 一番使いやすい長さは3分の1ほど使ったあたり。実際に使われるのは2分の1。
 ちなみに,鉛筆が一番美しいのは,未使用品を削って使い始める刹那。鉛筆のフォルムの美しさは,長さがあってのもの。

2025年3月2日日曜日

2025.03.02 長生きしたい

● 元気で長生きしたい。今のペースでできるだけ長く鉛筆とノートを使っていたい。
 できれば,この先30年くらい,今使っている北星9500のような良質な鉛筆で,Campus のような良質な紙に,他愛もないどうでもいいことを,思うさま,好きなだけ書き散らしていく幸せを,できるだけ長く味わってから死にたい。

● 買いすぎてしまった鉛筆とノートを使うことが長生きしたいと思う理由,モチベーションになる。
 モチベーションなど何でもいいと思っている。そんなものは不純でも俗っぽくてもかまわない。

● できれば在庫のすべてを使い切って,かつ,それらを処分して,後顧の憂いをすべて消去してから逝きたいものだが,そうそう上手く行くものではないだろう。
 死後に恥を残すのは,まぁ,仕方がない。自分が死んでしまえば世界も存在しないのだから,存在しない世界での死後の自分を考えることは無意味だ。

● 死んだ後に恥を残してしまうことを気にして,書くのをやめてしまうのが一番バカげている。
 “今を楽しむ” とは,“死後に恥を残すことを怖れない” とほぼ同義であろうと思う。

● まぁ,毎日が日曜日のロートルがあと30年も生きたいとは高望みも甚だしい。こういうのはなるようにしかならないものだ。だいたい,明日何が起こるかわからないのだから。
 なるようにしかならないものを考えても仕方がない。禅の世界で言う「莫妄想」はこういう局面でこそ問われるものだろう。

● 結論としては,そんなことは考えないで淡々と日々を過ごして行こうということ。
 で,できるだけノートと鉛筆の在庫を減らすように努めて行こう,と。