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2026年9月20日日曜日

2026.09.20 欲望を抑えたあとの清々しさを自分に教えよう

● クソの自慢にもならないのだが,手持ちの鉛筆のうち,生きてる間に5%も使えたら御の字だ。残りの95%は寄付を受け付けているところを探して引き取ってもらおう。
 けれども,この期に及んでなお,使ったことのない鉛筆があると欲しくなる。

● たとえば,三菱の9990だ。在庫管理というものを怠っているから,ひょっとすると何本かは手元にあるのかもしれないのだが,「かもしれない」ものは即ちないということだ。
 ないなら買って使ってみたくなる。使ってみて何がどうなるわけでもない。3分も使えば気がすむだろう。入手した瞬間に気がすんでしまう可能性もある。

● こういうとき,どうするか。そういうときは在庫の保管車(?)を見ることにしている。買ってはいかんと即座に結論が出る。
 鉛筆は使うものであって,語るものではないのだ。“語る” にはカタルシスがあるので,ついそちらに行きたくなるのだが。

● 考えてみるがいい。この世に存在した鉛筆で,現在入手可能なものをすべて使うなんてことはおよそ非現実的だ。
 それは世界には40億人の女性がいるのだから,その全員と付き合って,その中から結婚相手を探そうとするようなものだ。進捗率0.00000001%の状態で自分の寿命が尽きているだろう。
 鉛筆の場合はそこまでではないだろうけれども,もっと時間を大事にしろと言われて然るべきだ。

● この単純な理屈が,しかし,通用しないのが好き者の世界なのだな。そういうアホなことをやってようと本気で思ってしまったりする。軽い狂気だな。
 欲望を野放図に解放してしまうのだ。鉛筆は安いからなおさらだ。

● しかし,そうした欲望を抑えたあとの清々しさ,快感もある。それを自分に教えこまないといかんよね。
 でも,できるかな。何となく,何となくだけれども,自信がないんだよね。

2026年9月17日木曜日

2026.09.17 川崎の地上の楽園

● 地上の楽園といえば,青森の魚市場の「お休み処」を第一に挙げたいのだが,川崎にも地上の楽園がある。
 楽園の構成要素は3つ。ノート,鉛筆,それを使うことができるテーブルと椅子。つまり,ノートを広げることのできる場所を地上の楽園と呼んでいる。

● 川崎に来て,ミューザの隣のホテルに泊まっているのだが,このホテルの3階にラウンジ(多目的室)があって,ここがまず地上の楽園になる。
 ここに滞在している間,最も長い時間を過ごすのがここだ。以前は川崎の街を精力的に(?)歩いたりもしたのだけれども,たぶん川崎に対する目線が川崎市民(川崎区民)と同じようなものになってきていると思う。街を歩き回ることはしなくなった。

● この楽園の問題が1つだけある。夏の間だけの問題なのだが,冷房が強すぎて,南極化していることだ。
 冷房を強めにしてくれとのリクエストがあったのかもしれないが,南極に長くいることはできない。暖を求めて外に出ることになる。

● ノートと鉛筆は持ち歩けるから,問題はテーブルと椅子だ。できれば無料で使えることが望ましい。というか,無料でなければ楽園にならない。
 しかし,戸外にも地上の楽園はある。よく探せば楽園だらけ。まず,ラゾーナの5階外廊だ。ここに格好の休憩所がある。

● 昼時にはここで弁当を使う人もいる。ホームレス諸氏のオアシスにもなっている。
 そのホームレス氏を見ていると,何もしないでジッと座っている。禅の三昧の境地に入っているようだ。神々しい。

● 3番目の地上の楽園はミューザの隣のホテルの隣にある広場だ。ここにテーブルと椅子が置いてある。風が強いことが多いので,椅子が飛ばされないように重りをつないでいる。
 どういうわけか,ここに長くいたことはない。風があるとちょっと書きづらいってこともあるけれども。

● 以上の意味での楽園は自宅にある。自宅に籠もることは楽園に籠もることだ。わざわざ楽園を外に求めることもあるまい。しかも,筆記環境は外の楽園よりずっといいのだ。
 が,ずっと自宅に籠もったままだと気分が塞いでくる。移動の効用というのがたしかにある。移動先で自宅にいるときと同じことをする。悪くないと思う。

● と言って,ひと頃,ノマドという言葉が流行ったけれども,ノマドワークを実践するには,金銭的なことはひとまずおいても,相当な体力が必要だろう。メンタルもタフじゃないといけない。
 人が一所に定住するようになったのは狩猟や遊牧から農業に生活手段が移ったからだと言われるが,それだけではないと思う。一所定住の方が楽だからだ。
 ホモ・サピエンスは東アフリカで誕生し,グレート・ジャーニーを経て地球上の各地に散っていったわけだが,グレート・ジャーニーの過程で多くの人が死んでいったことだろう。したくてグレート・ジャーニーをやったのではないと思う。

● 旅行が楽しいのも帰るところがあるからだとはよく言われることだ。ずっと続くものではなく一時的な私的興行だから,旅行は楽しいし,何度も行きたくなる。
 行った先では当事者になることがない。よそ者でいられるから責任が発生しない。そういう気楽さがあるからでもあるのだが。

2026年9月5日土曜日

2026.09.05 地上の楽園

● 青森に来てるんだけど,観光の真似事はしない。最も長い時間を過ごすのはここ。魚市場の「お休み処」ね。
 地上の楽園。ノートと鉛筆を使えるところはすべて地上の楽園と呼びたいのだが,楽園度はここが一番。

● 朝早めの時間はけっこう埋まってましたね。写真の奥,勉強中の女子高生の隣のテーブルが空いてたんで,そこに座ったんだけども,美人が視野に入ると気が散っていけない。
 だいぶ空いてきたんで,ここに引っ越しました。競輪の出目表に書込みをしたり,朝から飲んでたりするジジイやオッサンのオアシスエリア。ぼくはこっちの方が落ち着くかな。

● 勉強中の彼女も,参考書か教科書に向かったかと思うと,スマホを弄りだす。お見かけしたところ,スマホ時間の方がずっと長そうだ。
 勉強はそうそう愉しいものではないだろうから,そうなるのはよくわかる。スマホを使う時間を抑制するのは,今や年齢層を問わず日本人(いや,地球人)に等しく要請される生活技術だと思うのだが,スマホって触っていないと妙に欠落感があるんですよねぇ。のべつテレビを見ていた昭和時代のテレビに相当するのがスマホなんですかねぇ。

● ここにはカップ麺の自販機もありましてね。昼食はこれでOK。
 ウォッシュレット付きのトイレもある。上下水道完備。なので,好きなだけいられるんですわ。

● 4人がけのテーブルを1人で占領することになるのだが,それで申しわけないと思うことはない。つまり,けっこう埋まることはあっても満席御礼になることはないので。
 青森のいいところは人口圧がないことかもしれない。これ,かなり快適。特に,普段から田舎暮らしの芋爺にとっては。

● ホテルの部屋にもあまりいたくないので,1日の最も長い時間をここで過ごしている。地元民をさしおいて,「お休み処」の主のようになっとりますわ。
 惜しむらくは,18時30分で閉まってしまう。場所がら仕方のないことなんだけれども,18時30分以降の身の置きどころがない感じなんですな。

2026年8月22日土曜日

2026.08.22 雨宿り

● 今日は東京は水道橋に出かけたのだけども,夕方のゲリラ豪雨のために東京ドームシティで2時間以上の雨宿りを余儀なくされた。場所が場所だから,退屈することはない。
 3Fには LoFt もある。小さな LoFt だが,大きいがゆえに尊からずであって,文具店はたいてい楽しい場所になる。

● 4Fにはこんなところもある。ノートと鉛筆を持ってくればよかった。てか,LoFt で買えばよかったんだな。
 東京の女子高生と同じ場所で “お勉強” ができたのに。いや,女子高生じゃないかもしれない。こういうところで勉強している人を見ると高校生だと思ってしまうんだけど,そうじゃない場合もありますわね。

● さはさりながら,少々参りましたよ。後で知ったのだが,このときの雨量はかなりのものだったらしい(特に板橋区)。いや,貴重な経験になりましたよ。
 って,そういうことじゃない。こんなのは貴重でも何でもない。もっと上手い対処の仕方はあった。そもそもが,今から思えばドームシティに避難せずに駅まで走るのが正解だったのだが,ま,それは仕方がない。

● でも,色々と学習できましたよ。今では貴重になった遊園地。ここなら1日楽しめる。実際,そのつもりで来ている若者たちが多い。
 阪神タイガースのユニフォームを着てくると,一段と楽しく過ごせると思うぞ。ぜひ,そうして下さいや。

2026年8月17日月曜日

2026.08.17 外にある書斎

● A6 Campus と鉛筆(今回は北星9606を持ってきている)使えるところ,是,尽くぼくの書斎。
 ここは川崎駅の近く。カワサキデルタのオフィスビルの前の広場。

● 格好のテーブルと椅子がある。しかし,この書斎は風が強い。椅子が飛ばされないように重りが付けてある。メガネをテーブルのうえに置いておくと,風で飛ばされたりもする。
 もちろん,雨が降っているときには使えない。酷暑や厳冬の季節にも少々辛かろう。

● 最上の環境とは言いにくい。が,上を見たらキリがないのだ。
 何より,オープンスペースに設えられているものを自分専用の書斎にしようとしてるのだから,あまり贅沢を言ってはバチが当たろうというものだ。我慢すべきは我慢しないと。

● こちらはラゾーナ川崎の5階外廊。ホームレス諸氏の昼間のオアシスにもなっているっぽい。静かに休んでおられる。
 向こう側にも同じような場所があるのだが,そちらにはホームレス諸氏はいない。自ずからなる棲み分けがあるんだろうか。

● ここは風もない。ラゾーナの建物が遮ってくれているのか。快適である。ちと暑いけど。
 書斎は外部に作ればいい。自宅に書斎を設けて,そこに籠もるのは愚であるかもしれん。

● ノマドと言うほど大げさなものではない。大したことをするわけではない。
 プチノマドといったところなのだが,外の方が刺激がある。悪く言えば煩い。が,それくらいの方が作業が捗る。電車の中が最も快適な読書室になるのと同じ理屈だ。

2026年6月15日月曜日

2026.06.15 “下田ボウル” な鉛筆

● 下田ボウル,今はないんでしょうなぁ。あのボーリングブームは,今から思えば不思議な感じ。バブってましたよ。
 株や土地に限らず,バブルは発生する。それを流行という。流行に乗るのはバブルに踊るのと同じことなんですかねぇ。

● 若いお嬢さんがミニスカートでボーリングやってましたからねぇ。今は後期高齢者のお婆ちゃんになっていると思うんだが,貴方がたの若い頃って,何だか恥ずかしさで充ちてませんでした?
 いつの時代も同じかもしれないけど。恥まみれであるのが若いということかもしれないんだけどね。ぼくなんか,“ギャッと叫んでろくろ首” な思い出に充ちていますわ。

● にしても,あのボーリングブームはねぇ。人口2万程度の田舎町にもボーリング場ができましたよ。
 テレビではボーリングゲームの中継が視聴率を取れる花形番組だった。「さわやか律子さん」の中山律子,実力の須田開代子,サウスポーの野村三枝子。ぼくも憶えてますよ。
 彼女たちはタレントでもありました。売れっ子タレント並みに忙しかったろう。

● 男性のプロボーラーは現れなかった。いたのかもしれないけれど,メディアには登場しなかった。
 ボーリングというスポーツが性差が出るような肉体強度を要求するものではなかったから。男でも女でも,大人でも子供でも年寄りでも,ハンディなしに競える。
 だからあれだけのブームになったのだろうし,女でもできるのならば,女がやる方が絵になるに決まっている。

● 下田ボウルのノベルティ鉛筆を見て,そんなことを思い出した。
 ブームは短かったが,今でも残っているボーリング場はある。愛好者もいるのだろう。ボーリング・愛,という人もいるに違いない。マイボールを持っている人は,当然,今もいるだろう。

2026年6月6日土曜日

2026.06.06 バカの草刈り場

● ショートサイズの「大人の鉛筆」。川崎のヨドバシで買ったもの。
 自分にはこちらの方が合うはずと思ってたが,長いタイプを使うことの方が多いかもしれない。

● 書いてるときにはクリップはない方がいい問題。若干頭重めにもなるが,そこは無問題だし,ルックス的にはクリップは必須。このアンビバレンツ。
 これを胸ポケットに挿して出かけることはないんだけどね。クリップに実用性は求めてない。

● ただ,これがあると鉛筆要らないよね。三生分か四生分の鉛筆の処分を大幅に前倒ししなきゃいけない。だって,場所を取るだけになった鉛筆群なんて邪魔なだけだからさ。
 「大人の鉛筆」よりも「鉛筆屋のシャープペン」の方が鉛筆の天敵かな。削る手間が要らないのは,特に旅先においては大きなメリットだ。
 が,旅先に限らず,ハンドル式の鉛筆削りが手元にある自宅においても,鉛筆から「鉛筆屋のシャープペン」 にすぐさま乗り換える事ができるわけだ。それで何かデメリットがあるかといえば,そんなものは何もないと断言できる。
 「大人の鉛筆」もそうだが,「鉛筆屋のシャープペン」 も鉛筆の風合いが移植されている。木軸シャープなんてこれで充分だろうよ。

● さて,ここからが本番なのだが。
 しーさー氏が有名にした,野原工芸に代表される木軸ブームがまだ続いているようだけども,言葉を選ばずに言ってしまうぞ。あそこはバカの草刈り場だ。
 それを端的に示すのが転売問題だ。転売ヤーのことではない。こういうもので小銭を稼ごうとするのは暇な貧乏人に違いないけれども,それ以上に転売ヤーを詰る側が本当にバカっぽいのだ。ぽい んじゃんくて,正真正銘のバカなのだ。

● 自分たちが転売ヤーを生んでいるという自覚がない。そもそも世間の潮流に群がること自体が馬鹿の証明であるわけだ。この状況下で木軸ペンに走っていて恥ずかしくないのか。
 今までも誰かのカモになって生きてきたのだろうが,これからカモであり続けるのだろう。カモりたい側は「推し」「推し活」などという言葉を編み出して,いっそうカモろうとしているようだが,バカは常に必ず搾取される側にいる。にもかかわらず,あまり世の同情を引かないのは,あまりといえばあまりにバカだからだ。

● 少しは考えろと言いたいが,そんなことができるくらいなら,その時点でバカではない。バカにつける薬はない,バカは死ななきゃ治らない,と昔の人は言ったが,まったくそのとおり。バカがバカを治すのは生まれた時点で手遅れだ。
 かつ,バカが自分の頭で考えてしまうのは,最悪の結果を招く。バカが自分の頭で結論を出すのだから,間違えるに決まっているからだ。賢人の意見を訊いて,それに従った方がいい。

● 書物でそれをするのを勉強というのだが,バカはその勉強を億劫がる。自分のスカスカの頭とごくわずかな経験だけで辻褄を合わせようとする。その方が楽だからだ。
 そういうバカが木軸ペン界隈に蝟集していると,ぼくには見える。バカに交わるとバカが伝染る。近づかぬが吉と思う。

● 自分の頭で考えていい人など,そうそういるものではない。たぶん,それが冷徹な真理というものだろう。
 当然,ぼくも自分の頭で考えてはいけない側の人間だ。そのことはわかっているから,できるだけ自分の頭では考えないようにしている。
 ソクラテスが言ったとされる “無知の知” とは,案外,こうしたことを指すのではないか。自分はバカだから自分の頭で考えてはいけない人間だ,ということを悟るのが “無知の知”。

2026年5月26日火曜日

2026.05.26 在庫の憂鬱

● 自分を憂鬱にさせるもの。鉛筆の在庫。右の写真のケースが8つある。他に,鉛筆を立てた箱が部屋のアチコチにある。1割も使わないでぼくはこの世を去るだろう。
 世の中にはこんなものではない在庫を抱えている人も,少なくない数いるんじゃないか。いると思いたい。あなた方はぼくの癒しであります。

● 同じ鉛筆が何ダースもあったりする。どうしてそういうことになるかと言うと,メルカリの “まとめ売り” やヤフオクで買ったるものが多いからだ。同じものが大量にまとめて出品されているのに応じたからだ。
 が,それだけでもない。北星9606なんかは Amazon でまとめ買いをしちゃってたりする。

● しかし,金額的には大したことはない。数万円の話ではあるまいか。ただし,安いからこそ,増えるスピードが速い。あっと言う間に山になってしまった。
 一方で,鉛筆は万年筆のカートリッジインクやゲルボールペンのリフィルのようには減ってくれない。鉛筆1本を使い切るのは長い旅だ。何ともやる瀬ない。

● こちらは測量野帳を詰め込んでるタンス(?)。これが5段ある。他に,部屋のソチコチに積み上がっている。数えたくもないが,1,000冊以下はあり得ない。1,500冊くらいか。
 鉛筆に比べれば損耗度が速いので,生きてる間にそれなりには使えると思うが,他のノートも数百冊ある。半分も使えれば御の字だな。

● しかも。この期に及んでなお増え続けているのだ。鉛筆も同じだ。
 なぜか? 買い続けているからだ。懲りないというかね。際限のないバカというのが,間違いなくこの世に存在する。

● シコシコと使っていくしかないが,いくら使ったとて大して減らない。普通に使っていたのでは,この山は崩さない。
 個別に誰かにもらってもらうのでも追いつかない。寄付を受けてくれるところを探して,まとめて寄付するのが一番だ。

2026年5月23日土曜日

2026.05.23 学校が多すぎる

● 北星鉛筆のアートセット。Amazon で買って,ひとつは持っている。
 メルカリを見てたら「学校の授業で使用していた物です」と紹介されてるのがあったので,ポチってしまった。そういうのに弱いんだな。

● どんな学校のどんな授業かは知らないけれども,6Bが少し減ってるだけで,あとはほぼ使ってない。
 他の鉛筆も使っていた? そうではない気がするよね。この程度の使用量で乗り切れる授業だったんだよな。

● 今って,大学を含めて学校が多すぎる気がするよ。偏差値50で入れる大学まであるんだもん。
 誰もがモラトリアムを持てる程度に豊かな社会になってるんだな。ありがたいや。
 日本人は18歳からの4年間で一生分のバカンスを取得する,と言っていた人がいたが,文系の大学に限ればたしかにそうかなぁと思いますよ。

● が,モラトリアムを貪るのは搾取されてるという側面もある。
 今の世間知をそのままに18歳に戻してもらえたら,進学は考えないかな。高卒公務員なんて悪くない。

● 社会人大学や大学院なんてのがドヤドヤとできたのはずいぶん前のことだ。リカレント教育なんて言葉も流行った。
 今になって思えば,少子化で経営が厳しくなるであろう学校法人を救済するための方便だったとわかるのだけれども,当時はなるほどなぁと思ったものでした。

● なのに,今でもそういうところにウカウカと通ってしまうヤツって何を考えてるんだろ。それを褒めそやす風潮が今でもある。
 いい加減にせんか。資格に振り回されて何が愉しいのだ?
 臨床心理士だとか社会福祉士だとか,そういうものは資格を出す側のためにあるのであって,そんな資格がなければ仕事をさせてもらえないようなところは,サッサと見限って別な場所に行くのがいい。
 まして,学士や修士という資格は持っていても仕方がないものの代表ではないか。

● 勉強したいなら独学に限る。効率がいい。自由が利く。
 と言いつつ,ぼくもその昔,放送大学を卒業しちゃってるんだよね。自分の黒歴史のひとつだわ。

● どうしても学歴コンプレックスを解消したいのなら放送大学は便利だと思うが,学歴なんてゴミだよ。わざわざコンプレックスの対象にするようなものじゃない。
 どうもね,学歴や資格というものに過大な幻想を持ってしまっている人が多いような気がする。かつての自分もそうだったのだが。

● 身も蓋もない話になってしまうのだが,学歴や資格って,無能の隠れ蓑にはならないんだよね。
 自分が思うように行かないのは学歴や資格がないからではないか。違うんだよ。それ,アンタが無能だからなんだよ。時間とお金をかけて学歴や資格を取ったところで,思うように行くようにはならないよ。
 自分の無能に向き合うのが嫌で,学歴や資格を取得すれば何とかなるんじゃないかと安直に思ってしまう例が多いんじゃないか。きちんと自分と向き合いなよ。

● 思うように行ってる人って,東大を出ているからじゃないんだよ。彼(彼女)が個として優秀だからだよ。
 だから,東大を出ているからといって,誰もが思うように行ってるわけじゃない。あたりまえのことだな。

● そうして,もっと大事なことは,優秀な人たちと同じ土俵で戦おうとしないこと。自分に合った生き方がどんな人にもあるよ。
 世間の常識からいったん離れてみないと,それは見えて来ないと思う。言葉にすればそういうことなのだが,特に若い人にはなかなか難しいことかもしれないね。世間の常識からいったん離れてみるってのはね。

2026年5月19日火曜日

2026.05.19 手書きは安価にできる老人向けの趣味

● 宇都宮テラスの休憩コーナー。席がひとつ空いてました。ノートと鉛筆を広げてね。
 随処に主となれば立処皆な真なり。わかったような,わからんような。

● 宇都宮駅ビルの休憩コーナーに移動。市内の高校に通っている女子生徒が何人か勉強していた。
 鉛筆を使ってる子はいないか。女子でもシャープペンかボールペンなんだな。鉛筆の子はいなかった。

● その彼女たちに混じって(向こうは迷惑だったろうが)鉛筆でA6ノートに文字を書きつけた。
 幸せな時間だったと言いたいのだけれども,家の方が落ちつくね。

● 昨日からポケモン Campus を使っている。全9種。3月にメルカリでノートを買いまくる波が来てしまって,そのときに買ったものの一部だ。
 1冊あたり367円の出費になっている。レギュラー Campus の4倍を投じている。ではあっても,1週間で使い切るのだが,1週間たっぷり遊べて367円なのだから安いものだ。
 DAISO や Seria で110円で買えるレギュラー Campus は嘘みたいに安いのだ。こんなに安いものを使わなきゃ損だと思うのだがな。

● 手書きは安価でできて,飽きが来ない。したがって,一生続けられる趣味になる。個人的にはオススメだ。
 誰にも見せるこたはないのだから,誰かに評価されることもない。好き勝手なことを好き勝手に書いていい。多時間消費型だから,毎日が日曜日になった老人組にこそピッタリの趣味になる。退屈からも自由になれる。

● 1日ノートを開いているのだから,1日何もしないで過ごすことになるわけだ。小学生の日記であれば,“特に何もなし” で終るのだが,老人組の場合はそうはならない。
 何もしていなくても,脳は勝手に動くようだ。書くことが枯れることはない。

● 多少は自分と向き合うことになるだろう。自分と会話するというところまではなかなか行けないけれども,頭に浮かんでいることを,その表層だけだとしても,文字にして吐き出すことは,前頭葉への刺激になっているのだと思いたい。
 肝はたくさん書くことだと思っている。上述のとおり,自分と会話するというところまでは辿り着けないのだが,そこに近づくためにはまず量を出すことだ。

● 毎日書いていれば,自ずと日記的雑記のようなものになるはずだが,今日はもうこれ以上書くことはないなとなってから,どれだけ吐き出せるか。
 これで書くことがなくなったというところがスタートライン。そこからどれだけ粘れるか。
 自分と対話するモードに入るのはそこからだ。前頭葉を刺激できるのも,そこからになるだろう。

● そのためには書く量の最低ラインを決めるのがいい。ぼくは1日に4枚(8ページ)書くことに決めている。
 A6で4枚だから大したことはない? いや,けっこう大変ですよ。

● 「モーニングノート」はA4で3ページ書くのがルールらしい。朝起きたらすぐに書き始める。A6ならば12ページになる計算だ。それを出勤前に書いてしまうというのだから,畏れ入る。
 それに比べれば,A6で4枚くらいチョロいものだろうか。チョロいと言える人もいるのだろうが,ぼくにはなかなかの難敵。どうにかこうにかクリアしているが,実際の運用は4枚目にかかればいいとしている。つまり,実質3枚。

● それでも,毎日それを続けるには,“毎日が日曜日” じゃないと辛い。会社に行かなければならない境遇にいたのでは,少なくともぼくにはできない。できれば2時間で片づけたいタスクだなとは思うものの,とてもとても。
 だからこそ,老人組の格好の趣味になるというわけでもある。時間を持て余すという感覚を持たずにすむ。

● それで充分じゃないですか。それが非常に安価でできる。
 その昔は,ノートも鉛筆も一般庶民では持てなかったものでしょう。それが湯水のごとく,水道代よりも安い値段で手に入るのだから,いい時代に生まれ合わせたものだ。ありがたいじゃありませんか。

2026年5月9日土曜日

2026.05.09 アメリカの青年と意気投合した

● たとえば,ホテルのオープンスペースで “ノートに鉛筆” をやっていると,完全孤高の人になれる。ノートパソコンを開く人はいても,手書き族はまずいない。
 ごくたまに,お勉強する高校生が現れることはあるが。

● 特に外国人は,OFF であっても,ノートパソコンを持ち歩いている人が多い気がする。スマホ代わりにノートパソコン?
 手書き派は日本人以上に少ないのじゃないか。タイプライター文化圏の住人たちだ。

● で,完全孤高のぼくの近くにアメリカ(たぶん)の青年が座って,Think Pad を使い始めた。
 しばらくして,彼がぼくに話しかけてきた。ぼくは英語を解さないから,彼が何を言っているのかわからない。わからないけれども,訊かれた以上は答えなければならない。彼が何を訊いたのかを推測して答えた。

● しかし,彼は日本語を解さないようだ。英語でまた訊いたきた。日本語で返す。
 そのラリーをしばらく続けた。頓珍漢なやり取りで,何事かを伝え受け取ったということはまったくないのだけれども,すっかり意気投合した(気分になった)。

● 彼が最初に訊いてきたのは,補助軸に装着した鉛筆のことだと思う。それは何なのか,と。
 アメリカに鉛筆補助軸がないわけはないと思うのだが,使う人は少ないんだろうか。

2026年5月5日火曜日

2026.05.05 鉛筆追いかけ遊び

● FABER-CASTELL の9000番。印字の態様は2種。硬度表記が端にある方が新しいものだと思う。
 日本だとトンボ8900や三菱9800が細かく印字の仕方を変えており,その違いを追って全種揃えるといった遊びがわりと普通にある(ような気がする)。

● ドイツではどうなんだろう。日本ほど細かく変えてはいないのか。
 だとすると,単純すぎて遊びとして成立しない。どうなんだろうな。

● 違いがあれば追いかけたくなるのは,猫がマタタビに吸い寄せられるのと同じで,自然な反応だ。自然なのだから,新規参入者も同じことをしたくなるだろう。
 かくして,その業界(?)は淀んでいく。追いかけ遊び自体が,遊びとして廃れていく。

● 流行り廃りが生じるのは,まずそれが益体もないものであるからだが,参入者がある閾値を越えると廃れる。遊びの流行り廃りはそれで説明するよりしょうがない。
 ゲーム業界はそれに抗して,天才たちが必死の努力を重ねているのではないか。新しいものを生みだす努力だ。

● 𝕏 をはじめとする SNS も廃りのフェーズに入っているのではないかと思うが,Elon Musk を筆頭に関係者が懸命の努力を重ねていることだろう。
 ただし,𝕏 には益体があるのかもしれない(益体とは何かというのも,考えだすと袋小路にハマりそうだ)。鉛筆の追いかけ遊びと同列に置くのは違うかもしれない。

2026年4月20日月曜日

2026.04.20 Hi-uni の3本入りプラケースから

● 2年前の今頃,メルカリで3本入りの Hi-uni のプラケースを買ったんですよ。というか,買った鉛筆の中にこのプラケースが紛れこんでいたわけなんですが(その後,コーリンの Hi Pierce の3本ケースも手元にやってきた)。
 外出のとき,けっこう便利に使えるんじゃないかと思ったんだが,そうでもないんですわ。今のところ,使い途が見つからない。たぶん,用途はない。

● ところで。この3本入りのプラケースに入れて売られたのは,発売初期に限られるんですか。中に入っていたのは初代の Hi-uni ってことですか。
 だから何だってことじゃないんですけどね。現行品を使えばいい話なんで。初代とか初版に価値を見出そうとするのは,人間の脳の癖でしかないだろうからね。

● Hi-uni の初代を問題にする人はあまりいないけれども,uni の初代は話題になることがある。
 プラスチック製のダース箱のヒンジ部をアルミ板で補強していて,それは手作業でやってたんだよ,というのとセットになってるわけね。

● 初版本マニアは今でもいるんだと思うんですよ。第1刷じゃないとヤダという,幼児的と言ってはいけないんだろうけど,玩具をねだってダダをこねている子供みたいなやつ。
 これがけっこういろんなところにいるんでしょうよ。

● コレクションというのは幼児性の上に立っている趣味かもしれないよ。そいつが世界有数の大富豪だったりすると,コレクションが文化財になったりもするのか。公が保存に乗り出してくることもある。
 しかし,並みの個人がポケットマネーで集めたものなんて,その99.99%はガラクタに過ぎない。

● 自分が死んだあとはどうすればいいかなどと考えるのは余計なことだ。そんなことを考えるだけの値打ちなんかないからね。散逸して処分されて終わり。そうなるのが相応しいものなんだよね。
 自分が生きている間だけのささやかな楽しみ。それがあなたのコレクションです。

● けれども,人間とは強欲なもので,あるいは思い上がりが天井知らずなもので,つまり,詰めて言えばバカなものだから,自分のコレクションには価値があると思ってしまうんだな。思いたいのかもしれないんだが。
 それは,自分には価値があると思いたいのと “=” か “≒” なんだと思う。なので,あなたのコレクションに価値はないと言われると,自分に価値がないと言われたと受けとめるんだろう。
 そのうえで言わなきゃいけない。あなたにあなたが思ってるほどの価値なんかないよ。あたりまえじゃん,あるわけないだろうよ。

● って,Hi-uni の3本入りプラケースから何でこんな話になってんだ?
 まぁね,自分も同じだな。脳の癖だとわかっていても,初代や初版に引っかかってしまうし,集めグセがあるよなぁ。

● ただし,本格的にはヌマらないので,自分が集めたものに価値などないことはわかっている。手放すのに抵抗はないかもしれない。
 こなあたり,ものは言いようなのだが,コレクションさえできないつまらない男でもあるわけですよ,ぼくは。

2026年4月18日土曜日

2026.04.18 至るところに書斎あり

● 17日。相方を歯科医に乗せてきました。治療が終わるのを待合室で待っている。
 歯科医の待合室にはこういう場所があるので,待つのはまったく苦にならない。待ってないから。

● 同じ歯科医に今日も。昨日,歯に被せたものが取れてしまったらしい。
 そうか,それじゃ行かなきゃしようがないな,てなものです。今日も運転手を務めておりますよ。

● 今日は測量野帳のトートバッグを持ってきた。北星「鉛筆屋のシャープペン」と薄型消しゴムはシャツの胸ポケットに収納。
 しかし。長くいるわけではないのだから,こういうときこそ,クリップ付きのキャップをハメて,鉛筆を2本程度持ち出すのが粋というか,カッコいいというか。次回からそうしよう。

● が,それを粋とかカッコいいと受けとめること自体がニッチもニッチ。大方の賛同を得ることは非常に難しい。
 けれども,大方の賛同など得る必要もないので,自分が粋だと思うならそうすればいいだけのことだ。だから,そうしようと思う。

● その後,某イタリアンレストランに行ったのだが,人気店で長く待たされた。
 が,ウェイティングルームにこのテーブルあるを見つけた。これを使える椅子に座ることができれば,いくら待たされてもかまわない。

2026年4月13日月曜日

2026.04.13 地元の図書館に “出勤” しようかと思っている

● 先日,久方ぶりに地元の図書館に行ってみたのだが,ロビーに会議室にある長机を横に並べてカウンターのようにして,パイプ椅子を配した一画がある。
 そこでノートを広げるのも悪くないなと思った。自宅外の書斎にできそうだ。

● 毎日が日曜日で,家にいる時間が長いのだけれども,毎日,図書館に “出勤” するのもいいんじゃないかと思ってね。
 家でやっていることを図書館のロビーでやる。田舎ゆえ,平日は空いている。人口圧を感じることもない。なかなかいいんじゃないか。
 いや,家にいるのも全然悪くないんだけど,日中も家にいるのはどうなんだろう。“出勤” するのが人の自然に叶うのかもしれない。

● 図書館の開館時間は9:00〜19:00(月曜休館)なのだが,ぼくの出勤時間は9:30〜15:00にしておこうか。相方の買物に付き合わなくてはならないし,ビッシリいてもアレだからな。パートタイムでいいだろう。
 週に6日通うのも無理だ。その辺は家庭の事情もある。当然,家庭の事情が優先される。

● 朝,しっかりご飯を食べれば,昼食は抜きでいい。近くに飲食店はない。コンビニもない。地元の福祉施設がパンの出張販売をしていたこともあったのだが,今はなくなっているっぽい。
 弁当を持って行くのも悪くはないが,ぼくが作ると,おかずは毎日同じになる。おかか御飯と卵焼きだ。それも何だか。朝食をガッツリ食べておく方が面倒がない。

● ぼくは法律上の高齢者に該当するのだが,早寝早起きとは縁遠い生活をしている。就寝は3時,起床は10時過ぎ。放っておくと,早朝に寝て昼過ぎに起きることになるだろう。3時に寝るのも節制しているのだ。
 俺に午前中はない,と嘯く始末だ。冬場だと起きて間もなく,暗くなってくる。俺に昼間はない。

● それがダメだとは思わないのだが,外出の用事があるときは,それがそのまま非日常になってしまう。8時に起きるのは相当な早起きになる。身体に堪える。
 世間の基準にある程度沿っておいた方が,何かと便利なのは間違いない。そのためには強制契機があった方がいい。最もいいのは “出勤” だ。なので,“出勤” を始めてみるかなと思っている。

● 自宅から図書館まで歩いて往復すれば,5千歩くらいにはなるだろう。ことさらに運動をしようとは思わないが,歩いた方がいいのは間違いないのでね。
 ウォークマンで音楽を聴きながら歩くことにすれば,眠らせているウォークマンも活用できる。些細なことだけど。
 散歩のための散歩はなかなかする気にならないけれども,用事があってそのために歩くのなら続きそうな気がする。

● で,“通勤” 用の筆箱を作ることにした。というか,トンボ8900 の70周年鉛筆の缶ペンケースを使わなくちゃなというわけで,無理やり使うことにしたんですけどね。
 この缶ペンケースは旅行に持っていくのを容れるには薄すぎる。けど,日々の “通勤” なら何とか使えそうだ。

● とは言っても,鉛筆は断念。鉛筆を1本だけというわけには行くまいし,鉛筆削りも必要になる。
 シャープペンにしよう。北星の「鉛筆屋のシャープペン」にパイロットの HI-TEC-C coleto,ゼブラミリペンの赤,集成テープと消しゴムと定規。これだけなら入る。

● あとは,A6 Campus と手帳。Campus と手帳に必要な文具はこれだけで足りる。
 他にはスマホと財布。トートバッグに入れて “出勤” することにしようかと思う。

● ただし,“出勤” 先は図書館だけれども,図書館の本体というか,本があるところではない。その前にあるやや狭いロビーだ。
 ロビーにある長机とパイプ椅子を,わが第2書斎として使わせていただこうというわけなのだ。

2026年4月7日火曜日

2026.04.07 那覇に来てる

● 1年半ぶりの那覇。ゆいレール旭橋駅近くの OPA で,家でやってるのと同じことをやる。Campus ノートと鉛筆が心の友。
 「お声掛け」されることは絶対にないと思う。ここは沖縄だ(沖縄じゃなくてもないだろうけどね。普通の人が普通に使ってる分には)。

● 場所を変えて,同じことを那覇空港で試みる。が,あまりよろしくない。カオスの度合いが高すぎる。
 一切の忖度なしに言ってしまえば,中国人と韓国人の存在による。

● 団体のみならず,個人が日本に旅行するのも禁じてくれんか。言うことを聞かないなら,パスポートを取りあげればよいではないか。中国ならできるはずだろう。
 犬と中国人,入るべからず,はもはや世界のトレンドではないか。これ以上,嫌中感情を拡大深化させるな。隠せるものは隠した方がいい。このまま放置すると,中国人とは “喋る生ゴミ” のことだ,というのが世界の共通了解事項になってしまうぞ。

● 「リウボウ」7Fにあった「CARTOLERIA」が au ショップに変わっていた。このフロアはカルチャーフロアで,かつては書店(リブロリウボウブックセンター),文具店(CARTOLERIA),レコード店(タワレコ)があった。
 書店は2年前に撤退。文具店もなくなったわけか。タワレコは今のところ健在だ。

● が,ググってみたら,8Fに移ったらしい。撤退したわけではなかった。
 で,出直してみましたよ。たしかに8Fにありました。紀伊國屋書店傘下のチェーン店ですからね,垢抜けてますよ。那覇に相応しい。
 鉛筆売場はちょっと寂しくなった。STAEDTLER の tradition は消えてた。

● Campus-Rollbahn コラボの測量野帳はここでも残ってました。“黒板” が1冊,“飛行場” が3冊。
 さすがに野帳はもう要らないかなと思うものの,自分への沖縄土産に何か買いたい。

● “黒板” のチャーム(中華製)を無理やり買った。594円。
 あと,A6ノート。中紙32枚。8㎜横罫。ホチキス留め。MADE IN ITALY。715円。百均で買える Campus の方がよほど高品質だろうと思うんだけどさ。

2026年4月3日金曜日

2026.04.03 第二の居場所

● 数ヶ月ぶりか1年ぶりかで,地元の図書館に来ましたよ。
 敷地内の1本桜を見ると,ここには小学校があったのだろうと思いますな。昔の小学校って校庭に桜があって,何をするにも邪魔で仕方なかった記憶がありますよ。今じゃその桜を懐かしく思うのですけどね。

● 図書館のロビー。隅っこでノートを広げられますよ(中高生のための学習室は,当然,別にあります)。
 田舎ゆえ,平日はもちろん,土日だってそんなに混んでない。これはいいかもしれませんよ。自宅以外の第ニの居場所になるかもしれない。無料で使えるし,冷暖房完備だしね。隠居組の特権ですわ。

● 図書館っていうのは,本やCD・DVDを借りるところではあっても,本を読むには適さないと思ってるんですよ。未就学児がけっこう多かったりするじゃないですか。わりとうるさいことがある。
 が,ロビーだと多少の騒音はBGMになる。電車に乗ると読書が進むのと同じ理屈ね。明日から試してみますかね。

● ただねぇ,ここでノートを広げてると悪目立ちしそうではある。しかも,けっこう長くいることになると思うのでね。
 パソコンで何かやってるんだったら日常の光景なのだと思うのだけども,ノートと鉛筆ってのはけっこう目立っちゃいそうだ。スタバで勉強してる高校生も,ほぼ百パーセント,シャープペンを使ってもんね。鉛筆族なんか見たことない。

● でも,そんなのに注目する人なんて,田舎でもいないですからね。悪目立ちすると考えること自体,自意識過剰でしょ。
 こういう公共の場所で使えるところがあるのなら,使えばいいんですよね。正当な利用なんだから。

● ずっと家にいるのも,ぼくは嫌いじゃないんだけれども,家でやってるのと同じことを場所を変えてやるのもいいものです。
 景色が変わるのがいいですな。空気も変わる。いろんな人が自分の横を通り過ぎていく雑踏感もいい。

2026年2月25日水曜日

2026.02.24 手書きの快

● Campus ノートの白紙を鉛筆で埋めていく。そこに快感がたしかにある。手書きの快感。
 大したことは書いちゃいない。書かなくても困ることは何もない。この快感を掠め取りたくて書いているのだろうかな。

● Campus でなくてもいい。鉛筆でなくてもいい。何であっても手書きの快感は掠め取れる。
 つっても,Campus より安いノートは百均ノートくらいだろうし,鉛筆より安い筆記具はどこぞで配っているノベルティのボールペンくらいのものだろうから,Campus と鉛筆を使うのが安上がりですむ所以でしょうけどね。

● 安上がりですむのが大事なところだと思っている。快感を掠め取るためには量を出さなければいけないからだ。
 ノートをたくさん消費することが,掠め取るための前提だ。たくさん消費するのだから高いノートでは困る。

● これは想像で言うのだが,たとえ貴方の年収が2,000万円であったとしても,この事情は変わるまい。
 気安く大量に使えるものでなければならない。Campus は質が良くて安いんだから,使わない手はない。

● 「書く瞑想」なんていうタイトルの書籍も出ているけれども,書くことには心を整える効果があることは間違いないと,ぼくも思っている。書いて吐き出すことの効果だ。
 しかし,吐き出し切るためには,もうこれ以上書くことはないというところがスタート地点になる。そこからどれだけ吐き出せるか。

● 意識下に沈んでいるものまで吐き出せないといけない。意識に上っているものは,意識下に沈んでいるものを引きずり出すための呼び水に過ぎない。
 そのためには,まず,意識にあるものをすべて吐き出すことが予備作業になる。その予備作業の過程で意識下にどれだけフックをかけられるか。それは神のみぞ知る。

● したがって,上手く行かないこともしばしばある。いや,上手く行かないことが常態だと思っていればいいのではないか。
 たまにズルズルと意識下を引きずり出せたと感じることがあるわけで,そのときは,これが書くことの醍醐味かと思うことになる。

● 巷の「モーニングノート」も pen-info さんの「瞬記」も,そこまで行かないと書く意味の過半はないことになるのではないかと思っている。
 ので,「モーニングノート」を毎朝やっていますという人がもしいたとしても,それは相当に凄いことだと思うのだけれども,意識下に到達できていないのであれば,週に1回か2回にして,1回あたりの排出量を増やしてみるのがいいのではないかと思う。

● そして,その作業を忙しい出勤前の朝にやるのは不可能に近いのではないかと,ぼくは思っている。それをできている人がいたら,それこそ神に近いのではあるまいか。凡人には到底叶わない技だ。
 だから,気張らず焦らず,気長にやるのがいい。短兵急にならないこと。

2026年2月22日日曜日

2026.02.22 三越文具祭り

● こんなのもあるんですねぇ。16日から23日まで。日本橋三越の5階と7階。
 22日に上野に出る予定があるんだけどもね。たぶん行かないな。

● ほぼすべて,ぼくの筆記スタイルには関係のないもの。ガラスペンとかスタンプとか木軸ペンとかね。
 というか,Campusノートと鉛筆しか使わない人間に来られたって,先様のご迷惑でしょうよ。

● ところが。せっかく上野に来たんでね,寄ってみることにしました。
 上野から山手線で神田。神田駅から歩きましたよ。

● 5階はインクとガラスペン。依然として人気なんですな,ガラスペン。
 こういうところは秋葉原と同じオタクオーラを出してる人が多いのかと思ってたんですが,そんなことはないんでした。普通の人たちでした。

● 7階はスタンプ・はんこ と 木軸ペンがメイン。スタンプ・はんこ は女子御用達かと思ったら,これがそうでもない。
 奥さんや彼女に付いてきたのではなく,自分の意思で来たと思える男子がけっこういるんでした。

● 木軸ペンは少年たちに人気と聞いたんだけども,ぼくが行ったときには少年たちは見かけなかった。
 木軸なんて鉛筆だけで充分だろうよ。万年筆やボールペンを木軸にして何が楽しいのだ? と思う時点で時代に添えていないんでしょうな。仕方がない。
 滞在時間は30分程度。やっぱり,ぼくには無縁のものでした。すみませんでした。

● 日本橋三越は建物自体が国の重要文化財に指定されている。建築や近代遺産に興味のある人はもちろん,そんなのどうでもいいと思ってる人でもけっこう遊べるところなんだよね。
 日本橋にある老舗のデパートなんだから,集客力はある。しかも,富裕層を呼べているように見える。西武やそごうとは違う。
 催事も多彩だ。もちろん,律儀に付き合ったんじゃお金がもたない。チャッカリ付き合わないといけない。

● ここの屋上もぼくはわりと好きだ。立派な神社があり,日本庭園がある。天気が良ければ,ここでぼんやりするのも悪くない。平日ならぼんやりできる程度には空いていると思う。
 都市ならではの楽しみ方ができるんじゃなかろうか。というか,東京ならではの楽しみ方ね。

2026年2月21日土曜日

2026.02.21 アートに親しむ

● 今月11日に丸善本店でPENONのウッドポストカードを1枚買った。ゴッホの「夜のカフェテラス」。
 その「夜のカフェテラス」は雑に立て掛けている。毎日眺めてますよ。アートに親しんでる。

● 「鬼滅の刃」と同居しているんだけどね。ぼくの筆記空間は整理とか整頓とは無縁のとっ散らかりで満ちている。
 これでいいと思っているわけではないが,これじゃダメだと思っているわけでもない。

● A6 Campus の透明カバーに絵ハガキを挿し込む。アートに親しむってのは,この程度でいいと思うんだな。
 現在使用中の Campus の表紙も立派なアートだわ。してみると,女性の多くは普段からアートに親しんでそうだよ。

● こうした絵ハガキは,無料の展示即売会に出かけていくと何枚か手に入る。そういうものを捨てないで,有効(?)活用すればいいんだよね。
 作者も喜んでくれるだろう。展示している絵を買ってくれればもっと喜ぶだろうけどさ。

● アートに親しむのにお金は要らない。美術館にわざわざ出かけていくこともなければ,分厚い画集を買って部屋を狭くする必要もない。
 あんまりシャカリキにならないで,ゆるーくいい加減にやってけばいいんじゃないですかね。

● ぼくの場合だと,必要なのはA6ノートの透明カバーだけ。ここで調子こいて,革製のカバーなんか買ってカッコつけちゃったりすると,アートに親しむことは難しくなる。
 アートにはチープが似合うんでさぁ。力まないことですよ。

● でもって,アートに親しむと何が変わるかといえば,そんなもの,何も変わらない。アートに親しめば何かが変わるなんて考えるのは,人生を舐めてるでしょうよ。
 コンマ何秒か,かすかにホッとする。それだけです。本物の作品を見て深い啓示を得たなんてのは,偉大な芸術家の伝記にしか出てきませんよ。オレらには間違っても起きませんよ。

● たとえば,これだってアートだよなぁ。弘前の平山萬年堂のカレンダーのに印刷されていた。そこだけ切り取ってクリアケースに入れて,時々眺めている。
 アートに親しんでいるわけね。

● ちなみに,そのときに買った「弘前煉瓦レッド」のインク。サファリに吸わせて使ってみようと思ってるんだけども,なかなかその機会がない。