2016年6月30日木曜日

2016.06.30 職場に持ちこむとペンはなくなる

● ジェットストリームを職場に持ちこんで使っていたが,いつのまにかなくなってしまっていた。デスクにMIKIHOUSEのマグカップをペン立てがわりに置いて,そこにギッシリとペンを入れている。
 誰かが勝手にそこから出して使って,元に戻っていないということなのだと思う。

● もちろん,悪気はないだろう。よくあることでもある。職場に持ちこむ以上,これは想定内。もともとノベルティだったし,なくなっても経済的な打撃はほぼない。
 ただし,ボールペンの中では最も馴染んでいたペンで,それが少し残念。残念でも職場に持ちこめばなくなることはある。

● しかし,ある程度以上に高価なモノはなくならない。机のうえに置いたりしないからだ。それは引出の中に入れておく。

● でも,まぁ,ひとりで使っていても,ボールペンなんかはけっこう行方不明になることが多いものだろう。それは小さい文房具の宿命でもあって,それだからこそ,なくならないで最後まで使い切ったときの快感があるのだ。

2016年6月29日水曜日

2016.06.29 相葉光輝 『仕事は「捨てメモ」でうまくいく』

書名 仕事は「捨てメモ」でうまくいく
著者 相葉光輝
発行所 サンマーク出版
発行年月日 2011.08.30
価格(税別) 1,300円

● 本書でいう「捨てメモ」とは何か。

 自分がどんな情報を得たいのか,何を話したいのか,そこにポイントを絞って情報を取捨選択して,その結果を書く。 それが捨てメモです。(p73)

● わかったようなわからんような。他にも以下のような解説(?)がある。

 何か新しいことをはじめる際は,一度過去に成功したことをまとめたノートやメモを思い切って捨てることが,逆に大事なことだ(p37)
 書いたものを書いたままに保管しておくことは,買ったものを使わない,買った食材を調理せずに食べないことと同じです。メモは生鮮食品,鮮度が命です。(中略)保管すればするほど,役立たない情報が手元にあふれることになり,かえって邪魔になります。(p40)
 アパレル業界では,不良在庫を取っておくと新しい商品がお店に入ってこなくなるので,特別損失で計上して,セール処分をします。そうすることで,売場の鮮度が保たれ,流れを生み出し,売上も上がっていくのです。 メモではきれいに書くことこそ,「売場いっぱいの在庫」につながります。(p81)
 最後は捨てることがゴールなので,あくまでも自分が理解できれば十分です。(p107)
 夢や目標をかなえるために大切なことは,夢や目標に歩むための「第一歩」をいかに早く踏み出せるかどうか,それに尽きます。それができなければ,ずっと立ち止まったまま,進展することすらできません。 そのときに一番やってはいけないことは,(中略)メモを「残す」こと。(中略)そもそも,夢や目標は日々,少しずつですが変わるもの,それが自然です。そんな日々の揺れ動く気持ちにこそ,ちゃんと向き合ってあげるべきです。そのためにも,捨てることを前提にしてメモに夢や目標を書いてほしいと思います。(p133)
 「感情」「自分の意見や考え」「心の声」などのように,自分の意見を思ったままに自由に書くこと,使い終わったらすぐに捨てることがメモの特権なので,基本的にはほとんどのメモは見せないように心がけてください。自分の考えが整理されていないメモを見せても誤解を生みやすくなりますし,誰かに伝えるならメールに書き直して伝えるか,直接伝えればいいことです。(p148)

● 他にも,いくつか転載しておく。

 その情報を自分の腹の中に落とし込むには,「自分の意見」を書くことが重要です。後から考えればいいと思う人もいるようですが,それは大きな間違いです。たとえ後から別の意見に変わってもいいので,そのときに感じたことをすぐにメモする。これが重要で,そのときの意見が結果的に的を得た意見であることが往々にしてあります。(p111)
 経理知識を学びたいから営業から経理に行きたいとか,営業からマーケティング部に行きたいとか,そんなことは会社はまったく望んでいません。また,突然のアイデアからやりたいと思うことや,「いま」を変えたいから新たな組織を作りたいといった意気込みほど,会社にとって迷惑なものはありません。会社は風土を大事にしますし,ルール違反を嫌がります。会社内で特別なことはできないのです。(p137)
 脳は時間がたてばたつほどメモが貴重だと錯覚を起こします。(p48)
 ものや知識をためない状態のほうが,新しい変化に順応できるので,変化に対応しやすくなります。(p49)
 かつて「引きこもり」だった友人が教えてくれたことがあります。引きこもりになるには,いきなりということはないそうです。何か大きな出来事があって,外に出たくなくなり,家にこもっているうちに,だんだんとなんとなく外に出るのが面倒になって,気づいたら,出るに出られない状態になってしまうそうです。もう本当に何もする気になれなかったと言います。(中略)メモをとらない人というのは,何かのきっかけでメモは意味がないと判断し,メモをしなくなって,気づけばなんとなくメモしないことがあたりまえになってしまった人たちといえます。(p58)

2016.06.29 ノートに手書きするのは何のためか

● なぜノートに手で書くのか。その原点に立ち戻ろう。憂さ(感情)の捨てどころにするためだった。バーッと書いてスッキリする。吐瀉物のようにノートに吐きだす。
 だから,書く(吐きだす)ことじたいに意味があるのであって,書いたメモをあとから読むことは基本的に考えない。自分の吐瀉物をあとからじっくり見る人はいないだろう。

● クリエイティブだとかネタだとか企画だとか,そういうこととは無縁のノートだ。ノート術やメモ術と題した指南書はたくさんあるけれども,ぼくのノートはそうした指南には馴染まない。
 あとから活用することはないんだから,要は何も考えないでガシガシ書いていけばいい。それだけのことだ。

● なんだけれども,そんな単純なことが徹底できない。
 ひとつには,書き終えたノートを捨てることができない。吐瀉物の容器を捨てられないとは,これいかに。「憂さ」意外のものも書いているからというのが,理由のひとつだけれども,みっともないこと夥しい。

● もうひとつの問題は,本当に辛いとき,本当に「憂さ」をどうにかしたいときには,書かない(書けない)ということだ。
 辛いときにそれを書いて吐きだすことによって,その辛さに耐えたというような話をしばしば読んだりするんだけど(自分もそのようにしたいわけだが),書くという作業はそれなりにエネルギーを必要とするもので,最低限,そのエネルギーを発揮できる状態でなければ,できない作業だ。

● 辛いとき,不如意のときに,それについて書ける人は強い人なのだと思う。ぼくはこのレベルがかなり低いのだろう,けっこう書けないことがある。
 平時にしか書けない。有事には書けない。ということは,憂さの捨てどころとしても肝心なときには機能していなかったということだ。

2016年6月28日火曜日

2016.06.27 高価な文具を自分に許してもいいと思っているのだが

● 高価といってもね,3万円のボールペンや10万円の万年筆あたりが,ぼく的想定の上限なんですけどね。
 この年になっているんだから,その程度の文具を使うことを自分に許してもいいと思うんですよ。そうした文具を使うことのないまま人生を終えた男になってもつまらないしねぇ。

● でも,Preppy(200円万年筆)の品質にまったく不満がない。っていうか,気に入ってしまっている。
 であれば,3万円だろうと10万円だろうと,わざわざコストを投じても仕方がないなとも思えてきて。

● ノートもしかり。100円のダイスキンに不満がないんだもんね。モレスキンは問題外としても,アピカやロディアの小型ノートは使ってみてもいいなと思う。だけど,ダイスキンがあるのになんで,ってことになるだよねぇ。

● つまり,品質(あるいは使い勝手)の差っていうのが,値段ほどはないっていうか。いや,ほとんどないっていうか。

● なので,品質云々はすべて飛ばしてしまって,ファーバーカステルのパーフェクトペンシルを買ってみようかと思ったりもする。けれどもそれは,知性のチの字も感じられないふるまいのようにも思われる。

2016.06.25 宇都宮にもLoFtがあった

● 久方ぶりに宇都宮の福田屋インターパーク店に行った。その福田屋の2階に上野文具がある。そのほかに,今まで知らなかったんだけど,Loftも入っていたのだった。

● 有楽町Loftとか渋谷Loftに比べてしまうと,かわいそうなほどに売場面積は狭いんだけど,ぼく基準からすると,これだけあれば充分。
 どうせ文具売場しか見ないわけだしね。

● で,その上野文具にもLoftにも,欲しいモノがないという現実。そりゃそうなんだよ。ものによってはすでに売るほど持ってるんだからな。
 ノートにしてもペンにしても,一度に使えるのはひとつしかないんだしね。

● 福田屋を出て少し歩くと,無印良品の店舗もある。さらに車で数分も走ればジョイフル本田の文具売場もある。
 文具好きにはたのしめるエリアではありますね。問題はしかし,欲しいモノがないということなんだよね。

2016年6月3日金曜日

2016.06.03 ノートからカードに切り替える?

● このブログには与太話しか書いていないと思う。それしか書けないんだから仕方がない。居直るつもりはないけれども,結果において居直ってるな。
 ぼく的にはこのブログが自分的表現の最終形態だと思っていて,ここに書けばこの話題は一件落着という感じでいる。その話題が与太なのは悲しいことでありますがね。

● で,このブログのネタ(=与太)もノート(今はジークエンス)から見つけることが多い。っていうか,ネタを思いついたらノートにメモしておく。
 ネタにするつもりがなくて書いたものの中からネタを見つけることも,ないわけではない。

● であれば,ノートじゃなくてカードのほうがいいのかと思ったりもする。メモパッドも含む。要は1枚ずつばらせて,カードケースで保存できるもの。その方がネタを探すのには便利だろうな。
 で,そういうことをしていると,俺ってクリエイティブじゃんという自己満足にもひたれるかもしれない。

● それよりも何よりも,さんざん探して手に入れたジョッターを活用できるじゃないか。高いものじゃないから眠らせてもいいということにはならないもんな。
 せっかく買ったんだからビシバシと使い倒そうじゃないか。カードボックスに保存しておいて,ときどき取りだしてパラパラと繰ってみようじゃないか。

● と,考えてみたりもするんだけど,やっぱり綴じノートを使い続けるんだろうな。
 っていうか,そのノートの使用頻度が落ちているのが問題なんだよ。カードにしたらさらに落ちるんじゃないかな。

2016.06.03 早くダイスキンを使いたい

● 3月17日からジークエンス360ノート(Miniサイズ)を使っている。そろそろ3ヵ月になるけれど,まだ3分の2まで使っていない。
 ダイスキンよりページ数がかなり多いのと,まったく書かないで過ぎる数日間が何度かあったのとで,なかなか使用済みのページが増えないんですね。

● ペンは,途中Preppyも使ったことがあるんだけど,結局,SARASAのブルーブラック0.5㎜を合わせている。この組合せで落ちついた。

● ジークエンスの製本は相当しっかりしているようで,現在のところはまったく乱れがない。もちろん手垢がついたり,汚れたりはしているんだけど,中紙が表紙から剥離したり,表紙に折れ目がついたりということがない。
 柔よく剛を制す。柔軟で堅牢。

● 長い旅に出る人は,Miniサイズではないほうのジークエンスを鞄にしのばせてはいかがか。しっかり記録を残せるのではないかと思う。長い間タフな使い方をするなら,ジークエンスはピッタリだ。
 Miniサイズは600円。安い。方眼の印刷もうるさくない濃さ(薄さ)だ。目がチカチカしない。今まで使ってきて,コストパフォーマンスも含めて,このノートはかなりいいぞと思える。

● では,今後ともこれを使うかというと,やっぱりダイスキンに戻りたいね。これはもうしょうがないな。在庫もどっさりあるんだし。
 ダイスキンの中紙のザラつき具合がいいんだな。そこにPreppyで文字を刻んでいく気持ちよさ。

● というわけで,早くダイスキンを使いたいから,ジークエンスを最後まで使い切ってしまいたい。

2016年6月2日木曜日

2016.06.02 メモパッドを鋭意,消費中 2

● Seriaで買ったA7サイズのロディアふうメモパッドのUTORをまず使い切ろうと思って,使用中なわけですが。

● ぼくはオカズも好きなものから先に食べるタイプなので,いくつか買ってしまったメモパッドの中で,最も気に入っているのがこのUTORのA7なのだと思う。
 そういうのがわりと素直に態度に出てしまうというか,態度に出すタイプなんですな。

● で,どう使っているかというと,備忘録が多い。備忘録のかなりの部分は,じつはToDoになる。
 で,そのメモをノートに挟んで片づけたら赤線を入れるみたいなことをやっている。しかし,これをA7メモでやるのはどうなんだかね。細めの付箋に書いて手帳に貼っておくのがよろしいのじゃないかと思う。

● しかし,これだけのスペースがあると,備忘の中身を具体的に書くことができる。いわゆるToDoリストだとやるべきことを一行で書いて,済んだらレ点でチェックを入れるという形になるけれども,A7メモを使えば何をどうするのかを具体的に書ける。
 たとえば,ブログの文章を直すんだったら,どこをどういうふうに直すのかというところまで書いておける。そんなことをするより,スマホでチャチャッと直してしまえよ,と言われるか。