2026年1月15日木曜日

2026.01.15 いくつかの鉛筆−三菱鉛筆創業100年記念の uni

● 北海道新聞のノベルティ。消しゴムはキャメル型だが,三菱鉛筆製。
 消しゴムはずいぶん劣化している。消しゴムとしての用はなさなくなっている。

● こちらは拓殖銀行。当然,バブル崩壊以前。〄あり。三菱鉛筆製かと思われる。
 バブルを知らない人の方が多くなっているのか。バブルがどういう時代だったのかと言うと,バカでも儲けることができた時代だったのだ。

● もちろん,そんなのが長く続くはずもない。ぼくの知り合いにも,バブルで踊ってしまって人生を棒に振った勘違い野郎が何人かいる。
 自分の愚かさの責任は自分が負うしかない。家族は気の毒だが,それを含めてしょうがないね,というのがぼくの見方。

● こちらは National のノベルティ。National なんだからかなり前のもの。
 「幸運の鉛筆」とはありがたや。合格鉛筆があるんだから,こういうのもそりゃあるでしょう。
 メーカーはトンボじゃないかと推測するが,自信はない。硬度表記もないが,であればHBだろう。

● 三菱鉛筆創業100年記念の uni。今から40年近く前のことですか。当時の価格で960円。1本80円。
 現在は100円(税抜き)だから,鉛筆はほんとに安値安定を続けているわけだ。1958年に50円だったのが2026年でも倍にしかなってないんだからねぇ。

● おかげで,ぼくなんかも鉛筆だけはハイエンドを使うことができる。世が世であれば,あり得ないことですよ。
 で,Hi-uni が突出してるってわけでもないよなぁ,などと罰当たりなことを言ったりする。

● 非常に情けないことに,エンドユーザーというのは,そのモノの価値を価格でしか覚知できない。高価ゆえに価値があると思ってしまう。“高価” を購入する。
 1958年の uni には価値があった。今の uni はその他大勢の一人に過ぎない。価格が相対的に爆下がりしたからだ。

● 筆記具として鉛筆が軽んじられているのも,鉛筆が安すぎるからではないかと思うことがある。品質は今のままで,価格を今の50倍にすると,鉛筆の良さを力説する輩がドッと増えそうだ。
 ヒトというのはその程度には愚かな生き物だ。万物の霊長などと言うのは,身の程を弁えぬ愚者の繰り言に過ぎない。猿とそんなに違いはない。

2026年1月14日水曜日

2026.01.14 計画を嗤う

● これと決めた1本や1冊を末永く使っていける人など,ほとんどいないんじゃないか。目先を変えたくなるのは本能のようなものだ。
 だとすると,必要があってそうなっているはずだ。どんな必要があって? それはわからないけれども,変えたくなったら無理をしないで変えるのが良いと思う。

● これをさらに敷衍すると,場当たり主義がたぶん一番いいのだと思う。
 筋を通すだの,背骨を立てるだのと力むのは下策なのではないか。

● 人生においても計画を立てるのはほとんど無意味な気がする。計画の前提が外部(環境)も自分も現状のまま(現状固定。変化しない)だとすると,計画などむしろ有害だ。
 そうして,外部や自分がどう変化するかを過たず予測するなど,人知を以ってしては不可能だ。

● 先のことはわからない。時代が下るほどそうなってきた。
 日本だけのことなのか他国でも同じなのかは知らないが,“計画” が過剰に評価されすぎていると思う。

● 1年単位の勉強計画だって計画倒れに終わるのが通例だろう。人生の中長期計画など,無意味を通り越して笑止の沙汰と言うべきだ。
 計画というのは,ほとんどの場合,現実逃避の別名ではないのか。場当たり主義で行くと腹を括るのが最善ではないか。

2026年1月11日日曜日

2026.01.11 令和の奇跡

● ホテルロビーのテーブルデスクでノートを広げていたら,向かいの席に女子中学生がやってきて,勉強を始めた。
 可愛らしい女子中学生と至近で同じ空気を吸いながら,ノートの何ページかを埋めることができるという至福を味わいましたよ。“人生,捨てたもんじゃないよね”。

● ですが,お嬢さん,貴女はディズニーランドに遊びに来られたのではないですか。泊まりがけで。
 なのに,パークから戻ったら,ホテルで勉強ですか。真面目な方ですね。
 けれども,時にお嬢さん,勉強なんか完全に放擲して遊びに溺れてみてはいかがですか。そういう経験をしておくことも,お若い間には必要かと存じますよ。お母様とご一緒のようですから,なかなかお難しいとは思うのですが。

● そうこうするうちに,今度はどこの国の人かは知らないが,夫婦が隣に座った。
 奥さんの方がA5の厚めのリングノートにボールペンで何やら書き始めた。手書き人が3人揃うなんてのは,令和の奇跡。ここでパソコンを開く人は普通にいるが,ノートを開くのは自分しかいなかったんで。

● このときは夜だった。テーブルデスクの上にスタンドが2つ設置されている。夫婦さんがうまく操作できずに諦めたようなので,ぼくがスックと立ち上がりましてね。
 失礼するよとスタンドを付けてあげたらね,日本語でアリガトーと返してくれた。はい,この夫婦は中国人ではありません。

● 女子中学生も奥さんも,ペンの持ち方がとてもユニーク。見てると面白いね。形として面白い。
 ペンの持ち方に関しては,自己流に勝る正統なしという意見なのだが,いろんな自己流を見れて(といっても2例だが)面白かったよ。おそらく,欧米の方が多様性に富んでいるんじゃないかと思うんだけどさ。

2026.01.11 早矢仕有的 展

● 丸善丸の内本店へ。丸善の創設者,早矢仕有的(変わった名前ですな)の展示をやっているので,これは見ておこうか,と。
 医師であり,事業家でもあり。決して順風満帆ではなく,山も谷もあった。凡人は比較的平坦な人生を歩む。山も谷もあるのは,それだけ活動量が多かったから。

● 由緒があるのは丸の内本店よりも日本橋丸善の方。そりゃそうですわね。
 街の格が日本橋とそれ以外では違ったはず。大手町なんざ新参者だ。

● 福沢諭吉とは最後は袂を分かつんだな。諭吉に言わせれば,相当迷惑をかけられた。
 ハヤシライスも彼の名前が由来らしいのだが,なにゆえに由来となったのかはよくわからない。
 2015年にジュンク堂書店を吸収合併して今日に至る。

● 展示のほかに,今日は講演会もあって,丸善スタッフが何人も張りついていた。
 が,そちらは遠慮しておく。そこまでのお勉強はしなくていい。

● 丸善が扱ってきたのは書籍や文具に限らないが,早矢仕が現役だった頃の書籍や文具を今の感覚で捉えると間違う。書籍も文具も今ほど大衆化されていない。一部のエリートや富裕層しかアクセスしない(できない)ものだったろう。
 その文具の中でも丸善が扱うのは欧州の高級品だったはずで,エリートや富裕層にしても普段着で行けるところではなかったに違いない。

● ということに思いを馳せて,現在の丸善が扱っている商品を目にすると,自分の筆記生活はこれでいいのかと思わぬでもない。(カッコよく言うと)ぼくは文具に “荘厳” を持ち込まない主義なのだが,少しはこだわった方がいいのかもなぁと思った。
 一方で,脱荘厳が文具の進化の歴史なのかな,とも。ま,その辺は人それぞれ,お好きにとうぞ,の世界になるわけだが。

● チェーン展開をしている大手の文具・雑貨店としては,LoFt があり,ハンズがある。その LoFt やハンズと異なる丸善の特徴があるのかといえば,それは特段見当たらない。
 客層の年齢が違うかと思える程度だ。若者は LoFt に来る。が,丸善にあるものは,たいてい LoFt にもあり,逆も真。

● 大衆化とはそういうことだ。誰でも持てるようになったモノは輝きを失う。欧州の高級万年筆も然りであって,ヴィンテージものが往時のノスタルジーに誘う程度のことだ。
 丸善自体も大衆化した。大衆化を拒否してはドンキホーテになってしまう。であればこそ,こうした展示に意味が出ようとしたものだ。

2026.01.10 一生分で3万円

● 今日使い終えたこのノート(右の写真)は,最初から最後まで「鉛筆屋のシャープペン」1本で書いた。わりとビッシリ文字を埋めているのだが,それでも芯1本は使い切れない。
 ノート1冊を使い切るのはまだたやすいが,シャープペンの芯1本を使い切るのはなかなかだ。まして,鉛筆1本を使い切るのは大変なことだ。

● その鉛筆が1本50円で買えてしまうことの不思議。いや,無印良品の鉛筆なら2本で70円だ。
 ダイソーで4本セットで売られているアイボールのゴム付き鉛筆も充分以上に実用的だ。

● 学校を終えても鉛筆を使う人がどのくらいいるのか知らないが,もし彼が22歳なのだとすれば,一生鉛筆を使い続けたとしても,50ダースもあれば,足りるどころかお釣りが来るだろう。
 一生分で3万円だ。3万円分の一生だ。

● ここから導かれることは2つだ。ひとつは,人の一生など,3万円分の鉛筆を使う間に終わってしまうほど,儚く短いものだということ。
 もうひとつは,鉛筆は想像を絶するほど安いということだ。あり得ないくらいに安くなったのだ。

● 今般の中国の対日禁輸騒ぎは滑稽極まる一人相撲で(独裁国家では権力者の顔色を窺わないと自己の安泰を確保できないのだろうから,わかっていてもそうせざるを得ないのだろうと理解はする),見てる分には面白いのだが,その品目に黒鉛も含めるらしい。
 が,市場はまったく反応していない。日本国内の鉛筆生産が止まることはないと見ているのだろうけれども,影響があるとしても軽微であろうことは,素人目にも見えやすい。

● そりゃ軽微なはずだよとぼくなんぞも思っているのだけれども,これは鉛筆がなくなっても困ったことは起きないということでもある。と言っては言い過ぎならば,鉛筆がなくなっても困る人はあまりいないということだ。
 小学生だって鉛筆でなければいけないと決まったものではない。代替手段はいくらでもある。

● 鉛筆使いとしては寂しいことでもある。黒鉛が入らなくなる,それは大変だ,となって欲しいと思わないでもない。
 これだけ安くて,これだけ長く使えるのが鉛筆なのだ。どうも,鉛筆は正当に評価されていない。もっと高価で然るべきだ。

● と言っても,市場の評価が評価のすべてなのであって,個人の見方は個人の数だけ存在するが,評価者になる資格はない。あたりまえのことだ。
 そのうえで,繰り返しになるのだけれど,鉛筆は安すぎる。ノート1冊より安いのはおかしい。

2026年1月10日土曜日

2026.01.10 歴代 Campus の表紙を再現した Campus

● 京都交通博物館の3冊を使い終えた。次はこれ。歴代 Campus の表紙を再現したもの(左端のはそうじゃないけど)。
 Campus 50周年記念で出したものでしょ。昨年3月に新宿の世界堂で買った

● 右から古い順。ただし,4代目はなし。製品としてはあるんだけれども,売場になかった。
 中紙30枚なのに253円もしやがった。普通の Campus なら百均で110円で買えるのにさ。って,そういう比較をするもんじゃないんでしょうけどね。

● ぼくの年代だと初代が懐かしい。懐かしいんだけど,じつは Campus はほぼ使わなかった。
 ルーズリーフ派だったんですよね,当時はね。ルーズリーフの方が古典的な綴じノートよりクリエイティブに見えた(アホですな)。

● B5ルーズリーフ→ワープロ→パソコン→A6綴じノート,という順番ですかねぇ。手書きからデジタルに移行したけど,また手書きに戻った。
 けど,ノートは生前に処分したいですよね。こんなものを残したまま死にたくはない。

● デジタル(ブログとか)に移行できるものは移行して(そうしておけば,クリック数回で全削除できる),紙のノートは処分したい。
 ただし,いきなりデジタルは,ダメだとは思わないけれども,やりたくない。

● あらためて,Campus は凄いものなんだなと思いますよ。この品質でこの価格。罫線にもノウハウが地層のごとく積みあがっている。
 おそらく,製紙会社とのネットワークや販売店とのコネクションにも太い線が何本も通っているのだろう。そういうことを含めて,Campus は凄い。他社がおいそれと追随できるものではない(たぶん)。

● ユーザーとしては,そういう凄さの上澄みをチャッカリいただくことに徹すればいい。
 それ以外はコクヨの問題であって,ユーザーが与り知るところではない。

2026年1月9日金曜日

2026.01.09 ペコちゃん柄の缶ペンケース

● メルカリで300円で買ったペコちゃん缶ペンケースに筆箱を替えた。大ぶりで深さもけっこうあるので,自宅環境をそのまま持ち出すことができそうだ。
 鉛筆3本と補助軸と鉛筆削りも入りそうだが,そうはしないで「鉛筆屋のシャープペン」にしている。手前のVコーンは使わないから,次回から置いてこよう。

● 中身も安物ばかりだ。美観の欠片もない。
 が,書けりゃ何でもいいとは思っていない。Preppy も HI-TEC-C coleto もぼくの審査基準を通ったもの。一応,選んでいるつもりなのね。
 どんな基準で審査してるんだ? 問われると,少々説明に窮するところもあるんだけれども,実用性は完全にクリアしておりますよ。

● どうせ大したことは書いてないんだから,実用性をクリアしていれば,安物でけっこう。いや安物がいい。
 安物の方が気安く使える。ぼくの育ちの悪さあるいは貧乏性によるのかもしれない。そうであっても,気安く使えた方がいい。

● 文具で自分の世界観や価値観を表現するとか,そこまで大げさな言い方をしなくても,自分の好みを追求するという気もない。
 アクセサリーの一種として扱うつもりもない。まして,文具で自分に付加価値をつけようとする発想はない。

● 自分の価値観を表現するのは,文具によってではなく,その文具を使って書いた表現物でやればいい。まさに,文具とはそのためにあるものだ。
 ま,文具そのものにはさほどの興味がないのかもしれない。

● いい大人がペコちゃん柄の缶ペンケースを使うのかと思われるかもしれないけれども,ぼくはそういうことに抵抗がない。平気で持ち歩けるし,人前でそれを使える。
 若いときからそうだったような気もするが,齢をとって厚顔になったのか。というか,誰も自分のことなど気にしてないってことが腑に落ちてきたからかなぁ。自意識の過剰部分が取れてきたということ。

● いや,これはね,元々,女児が使うようなものが好きだったのかもしれないよ。けど,さすがにね,大っぴらにしにくい。
 それが隠居する年齢になって,タガが外れただけなのかもしれないね。そんな気もするんですよ。

● 書くことには直接関係のないモノも2つ入っている。ひとつは,「ほぼ日」の “おちつけ” のピンバッジ。トートに取り付けてたんだけども,ピンが取れてしまった。以後はバッジだけを筆箱に入れている。
 もうひとつは,MONO のブックマーカー。どちらも入れっぱなしで,手に取ることはほぼない。薄くて邪魔にならないから,筆箱がちょうどいい保管場所になっている。