● 今日は東京に行ってくることにした。文具店巡りのほか,無料の画廊(?)も回ってこようかと思う。
● 東海道線で東京に出た。グランスタ丸の内のトラベラーズファクトリーを覗くのがルーティンになっている。トラベラーズノートを使うつもりはないし,ブラスペンシルは買ったのだけど,それ以上買うモノもない。
それでも覗いてしまうのがトラベラーズノートの魅力ということ。トラベラーズノートを使うつもりはない,と書いたのだけれども,ぼくはトラベラーズノートに選ばれなかったのだとも言える。
● この店にはレトロカメラが数台,置いてある。もちろん,売りものだ。レトロな形をしたデジカメではなくて,まんまレトロなフィルムカメラだ。ハーフカメラと呼ばれた,フィルムを節約できるタイプのやつ。一眼レフとかではなくて,コンデジに当たるものが売られているわけだ。
イメージとして,レトロなフィルムカメラはトラベラーズノートとの相性がいいんだろうか。トラベラーズノートのユーザーはこういうものに惹かれる性向があるということなんだろうか。
スマホのカメラで撮って,そのままSNSに上げるのが普通になった時代だからこそ,フィルムカメラぬ味が出るんですよ,という説明に頷いてしまうタイプが多いんだろうかな。
● オーディオ機器にもアナログ回帰が見られた。レコードやカセットテープで聴くという。ぼくはこういうムーブメントには食指が動かない。デジタル化を徹底せよと思う(文字を書くのだけは,アナログも維持している)。
もっとも,その方が音源もタダで手に入るし,音を再生するための機材も少なくてすむ(したがって,再生に要するコストが安くなる)からというのが,第1の理由だったりするのだが。
ジョッターって欧州貴族チックというか,氏も育ちもいい人たちが使っているものというイメージがあるじゃないですか。供給側がそのイメージを強調したのかもしれないけど。ポロの最中にでもメモできる,みたいな。
● たくさんのカードが入る分厚いやつを,改装前の伊東屋で買ってしまった。案の定,使ったことは一度もない。そもそも使う場面がないからなのだが,買ったのが貴族チックなやつではまったくなかったからでもある。
同じもの(コレクトのメモパース)が丸善にもあった。前からあったんだろうけど,気がつかなかった。これね,たくさん書く人にはいいんでしょうけどね,とっさの時のメモには向かない。ポケットに入らないからだ。理想やワイシャツのポケット,最低でも上着の内ポケットに入るものじゃないとダメだ。
● ジョッターには強力な競合製品がある。ロディアのNO.11だ。専用カバーに到着すればジョッターより使い勝手はいいかもしれない。ポケットにも入る。型はくずれるけど。カードケースに保存するにしても,A7なんだから百円ショップにも使えそうなケースがあるんじゃないか。
ダイゴーの jet-ace もコンペティターだ。専用鉛筆付きの小型メモ帳。シャツのポケットに入れるには一番かもしれない。
ぼくの場合は,ロディアも jet-ace も何日間が持ち歩いてみたが,結局は使わずじまいだった。
● こういうのは,自分には要らないものなのだと痛感。ひらめきや思いつきをすかさずメモする自分,というイメージに酔っていくつか買ってみたけれども,無用の長物だった。
それでもなぜかジョッターには惹かれる不思議。
絵っていうのは “わかる” ものなのかどうか知らないけれど,自分も絵を描きたくなれば大成功。けど,義務教育の9年間で,自分には絵心はないと叩き込まれているからねぇ。
ここに置いてあるものでは,トンボの ZOOM505META(水性ボールペン)がずっと気になっている。キャップを着脱するときの滑らかさ,ヌルっとした感じ。かなり官能的だ。握ったときの重さのバランスも申し分ない。デザインもカッコいい。これに近いものとして,昔買ったシェーファーのローラーボールを思いだして,買ったきり使わないでいたのを引っ張りだして見たのだが,ZOOMの方が惹きが強い。
オートの水性ボールペンと油性ボールペンも置いてある。やはり持った感じがセクシーだ。なるほど,これが ANGERSのおメガネに叶うということか。
対象商品を決めることから始めるのだと思うけれども,今年はロルバーンやユニボールワンFなど。
● 伊東屋。「AMAZING GINZA」の測量野帳はGの1Fに並んでいるのだが(ワゴンは撤去されている),並んでいるのが残りの全部で,再生産はしないらしい。
普通の測量野帳はどこにあるのだろう。去年だったか一昨年だったか,Kの2Fで LEVEL BOOK を数冊買ったのだが,今はKにはない。どこに行けば買えるのだろう。そういうことがわからない。
ROMERO BRITTO デザインの Campus ノート,伊東屋にもあった。有隣堂のように専用のコーナーを作ってということじゃなくて,普通のノート売場にヒッソリと入っていた。が,全種類残っているわけではなく,半分くらいだったか。
芸術しているつもりはないと思う。では何をしているのかというと,おそらく遊んでいる。けっこう悩み多き遊びかもしれない。
● 蔦屋書店。半ズボンにTシャツ,サンダルという出で立ちで,銀座を歩いている。そこまではいいとして,その恰好でG-SIXに入っていいものか。そこはよくわからない。
しかし,外は酷暑だ。殺人的な光量が降り注いでいる。そこを歩こうとすれば,この恰好しかないといいたくなる。文句があるなら,オレにじゃなくて太陽に言ってくれ,というわけで入ってみた。
● 蔦屋書店の文具売場の半分は万年筆売場になっている。日本橋三越の「STATIONERY STATION」にだって,SARASAのような売筋の安いボールペンも置いてあるが,ここにはそういう妥協はない。
ぼくが手を出せるのはプラチナのキュリダスくらいのものだが,キュリダスはメルカリで買ってしまった。メルカリでってところがどうにもねぇ。
● やはり,ぼく程度の生活水準の人間が来てはいけないところかもしれない。浦和の蔦屋書店くらいが許される限界かもね。
機会があれば二子玉川の蔦屋家電も覗いてみようと思っていたけれども,ダイソーのBTスピーカを使っているような人間が行ってはいけないところかもしれない。場は人を選ぶ。選べれない人間が行っても,選ばれた人たちの迷惑になるばかりだ。
率直に申すと,銀座蔦屋書店の来店者をザッと見渡すと,選ばれた人は1割のそのまた1割くらいかと思えるのだが,それはあくまでそれであって,場を舐めちゃいけないやね。
中年を過ぎてもこういう女性を描ける人っていうのは,画力以前にものの見方,見え方に,偏りがあるんだろうかな。その偏りを才能というのかもしれない。