片っ端からギリギリまで使って,それを写真に撮って,どうだとばかり 𝕏 にポストしたいわん(➡️バカの標本)。
● しかし,長いのが多いな。もうちょっと頑張って使って欲しかったかな。
補助軸のない世界に住んでた人なのかな。鉛筆は短くなってからが面白いんだが。
● 鉛筆が捨てられるか存在を忘れ去られるまでに,どの程度使われるのか。あるいは,捨てられることも忘れられることもなく,最期を看取ってもらえるのか。
上の写真が標準と考えていいんですかね。さすがにもっと使われてますかね。
だから,今もリアルの女児が使いかけにした鉛筆や,大人の(たぶん)男性が短くした Hi-uni を,自宅では使っている。今年中には使い切れないと思う。
● それが終わったら,次の使いかけ鉛筆が待っている。今はBを相手にしているのだが,次は2B,そうしてHB。それらを全部使い終えるには10年を要するんじゃないか。
10年後まで自分は生きているのかという問題があるが,そこから千数百本に及ぶ未使用の鉛筆を使い始めることになる。大半は使えないまま,自分はこの世を去る。
● 文房具に関しては,使うだけが使うではない,眺めて愛でる,集めて触る,というのも使うのうち,という考え方をぼくは採らない。
蒔絵万年筆のように,文房具を台座にした工芸品があることは知っている。万年筆として優秀なものも多いだろう。しかし,その種の工芸品は工芸品であって,文房具ではない。
● このあたりは注意深く腑分けして行かなければならないが,ぼくの大嫌いな鉛筆に FABER-CASTELL のパーフェクトペンシルがあるのだが,これも文房具として見るから,その出来の悪さが許せなくなるのかもしれない。
工芸品として,あるいはアクセサリーだと割り切ってみれば,なかなかのものじゃないかとなるのかも。ぼくはまだそういう見方をパーフェクトペンシルに対して取ることができないでいるんだけど。
● 話がズレたな。文房具は使ってナンボという話だ。
千数百本の未使用の鉛筆はほとんど使うことのないまま,ぼくは逝くだろう。
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