● 上野東京ライン開通後は新橋駅が自分のターミナルになった。東京駅は通過するところ。
ま,それというのも,ぼくの場合は,東海道新幹線で西に向かうということがまずないからだ。京都なんて行かない。大阪も行かない。東海道新幹線,もう何年乗ってないだろう。
京葉線に乗り換えて舞浜に行くことも,絶えてなくなった。かつては年パスを持っていて,年に50日はTDRで過ごしていたこともあったんだけどね。子供が小さかった頃だ。
奥様もTDRはお好きなはずなのだが,行ってみたいと言うことはない。おそらく,入場料が数次にわたって値上げされたのが効いているとにらんでいるんだが。
● 今日はその東京駅で降りた。で,地下街をフラフラと歩いていたら,「えっ,こんなのがあったの」と思うお店に出くわした。
「トラベラーズファクトリー ステーション」。2017年4月27日にオープンしたらしいのだけど,ぼくは全然知らなかった。
● アンティークショップのような佇まい。あるいは,掘出し物があるんじゃないかと思わせる古書店のような佇まい。
もちろん,狙ってそうしている。トラベラーズノートは革カバーにリフィルを挟む方式だから,長く使っていると味がでる。経年劣化とは無縁の世界だ。
そんなに長く使われたんじゃ儲けが出ないんでは。そこはリフィルで儲けさせていただきますよ,ということだろう。
● トラベラーズファクトリーではペンも作っている。真鍮製だ。これまた,使い込んでいくと味が出る。使っていく中でできた傷も勲章。そういう趣になる。
となれば,アンティークショップの佇まいは必然だ。ピカピカであっちゃいけない。
● 巧いなぁと思うんですよねぇ。ずっとここにいたくなる。トラベラーズノートを使う自分をイメージしてうっとりしてしまう。
トラベラーズノートって安いものじゃないけど,買ってしまおっかなぁと思わせる。だってね,ここのサイトには「憂鬱な満員電車での通勤や通学さえも旅するような気分になれたらいいな。そんな妄想から,トラベラーズファクトリー ステーションの構想がはじまりました」とあるんですよ。
ツボを押さえているというかねぇ。いやね,“満員電車での通勤や通学”で“旅するような気分”になんかなれっこないんですよ。無理にそういう気分にさせたにしても,そんな無理が続くわけがないんですよ。
そんなことはわかってるんですよ。でも,「憂鬱な満員電車での通勤や通学さえも旅するような気分になれたらいいな」ってすごく共感するじゃないですか。
● 切符(硬券)の栞とか,懐かしのブルートレインのヘッドマークのシールなんかも売られている。
けれども,まぁ,トラベラーズノートですよね。こんなふうに使ったらいかがですか,というサンプルの展示もあって,なるほどなぁと思う。こんなふうに遊べるんだったら,トラベラーズノートって全然高くないじゃん,とか思うわけですよ。
したがって,問題は,ここまでトラベラーズノートで遊べるのか,俺,ってことなんですよね。
● 「TRAVELER'S TIMES」のNO.12と13と14があったのでもらってきた。「旅は,思考する。旅は,発見する。旅は,想像力を解放する。旅は,自らの内面をさらけ出す。そのすべてを受け入れ,ここに書き留めよ。」という標語(?)も格好いいけど,表紙の写真がね,巧いわなぁ。このイメージ戦略,統一感に乱れがない。
これじゃあね,いくら安くてもダイソー版のトラベラーズノートは売れないでしょうね。いや,一定程度は売れるだろうけれども,トラベラーズノートユーザーを引き抜くことはできないでしょ。一度や二度はおもしろがって買うかもしれないけれども,それ止まりでしょ。トラベラーズノートの特徴はトンガリで,ダイソー版にはこのトンガリがないからだ。
そこが“モレスキン vs ダイスキン”との違い。“トラベラーズノート vs ダイソー版のトラベラーズノート”はそもそも成立しない。
● ということで,トラベラーズノートを買ったのかというと,買わなかった。結局,貧乏性が足を引っぱるのだ。トラベラーズノートのイメージに吞まれたいと思うんだけど,貧乏性がそれを上回るのだ。
いつも持ち歩いているダイスキンに書き留めよ,それでいいじゃん,と思ってしまうのだ。これって消費者として賢いのではない。跳躍力がないだけだ。困ったものなのだ。
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