鉛筆なんざ(鉛筆に限らないけれども)現行品を使えばいいんですよ。
● そりゃそうでしょう。何のために書いてるんですか。書くために書いてるんじゃないでしょう。
弘法筆を選ばずではないけれど,道具に過度にこだわるのは衰弱に通じるでしょう。あまり道具を気にするのは,書くことに集中できていないからじゃないですか。
● が。ぼくの場合は,手書きが趣味と言えるところがあって,まさに書くために書いているのかもしれないんですけどね。何をどう書くかは二の次ということね。
同様の病を持つ人がいるかもしれない。だから,現行品を使えばいいんですよと突き放した言い方をするのはどうかとも思うんですけどね。
● いろんな鉛筆を書き比べてみたいというのもわかるつもりですよ。自分にもその気があるから。
いろんな時代のもの,外国のもの,マイナーなメーカーのもの,を使ってみたい。書き味を確かめてみたい。別に何も悪くない。誰に迷惑をかけるわけでもない。自身のお金と時間をどう使うかは,百パーセント自身が決めていい。
● しかし,その上でなお,道具に入れ込みすぎるな,と言いたい気分がある。何のために書いているのだ? 道具を使い比べるためではないだろう。
これがないと書けないなどと言い出すのは道具依存の最たるものだが,たかが書くのに「これがないと」はないだろう。
それほど道具にこだわるに値するものを自分は書いているのか。書けりゃ何でもいいんじゃないか。その程度の謙虚さは持てよ。
● とはいえ,ぼくの場合はすでに手遅れ。いくら何でもこれ以上増やしちゃダメでしょ,となってから,やっと反応しなくなる。遅すぎる。
3年後か10年後かはわからないけれども,いずれ処分しなくちゃな。こんなのを残しては遺族の手間を増やすだけだ。もらってくれる人がいればいいんだけども,まずいないでしょ。
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