2019年7月31日水曜日

2019.07.31 測量野帳60周年

● 人気の測量野帳。ぼくはSKETCHから入って,LEVELに移行した。縦線は無視して,普通の横罫ノートのように使う。
 TRANSITも同じように使えるんだけど,横罫の幅が7mm。A罫になる。自分的にはA罫ではちょっと幅広すぎる。結局,B罫相当のLEVELがぴったり。

● 「測量野帳60周年限定ボックス」が出た。っていうか,とっくに出ている。先行販売に期待して県内の文具店をいくつか回ったんだけど,ぼくの知る限り,栃木県内で先行販売に対応したところはない。
 そういうのはやっぱり首都圏と大阪圏になるんですかね。でも,今ならAmazonでポチッとすれば買えちゃう。

● ただね,限定版の野帳に興味があるわけじゃない。限定版をコレクションする趣味もない。野帳は普通のLEVELをがんがん使っていきたい。
 欲しいのはカバーだけなんだよね。ほぼ日手帳でいうと,カバー オン カバー的なものなんでしょ。
このカバーを野帳に装着すると,チケットなんかを挟んでおける。トラベラーズノート的な使い方をしやすくなる。
 思うに,「トラベラーズノート」よりも野帳の方がアクテイブにトラベラーズノート的に使えるんじゃないかと思うんですよね。「トラベラーズノート」って環境が整っていないと(つまり,デスクやテーブルがないと)書きづらくないですか。

● 測量野帳はその名のとおり,野外で使われることを想定している。ワイルドな使用に耐えるだろう。
 先に,カバーを装着するとチケットを挟んでおけると言ったんだけども,カバーなんかなくても挟んでおけるんだよね。野帳にチケットを挟んで閉じて,そこに輪ゴムをかけておけばいいんだから。
 クリアカバーをかけてお洒落(?)にというより,輪ゴムを使うラフな使い方が,野帳には相応しいような気がする。

● しかし,ま,カバーはほしい。カバーを付けて,野帳をいっそうトラベラーズノート的に使いたい。どうしようか。ポチッと行っちゃうか,カバーだけ買うか。
 そのクリアカバーもさほどに使うことはないなってこともわかっているんですよ。なぜなら,測量野帳をそんなには使わないだろうからだ。

● 野帳はトラベラーズノート的に使うのにいいはずだけど,SYSTEMICに装着することによって,Campusでも同じ使い勝手を確保できると思っているんですよ。
 だったら,40枚の測量野帳より48枚のA6Campusかなと思っていて。

2019年7月30日火曜日

2019.07.30 能率手帳ゴールドは大衆のもの?

● インスタで文具の写真を眺めるのが好きだ。トラベラーズノートと測量野帳が特に面白いと思っていたが,見解を改める。インスタでは能率手帳ゴールドが最も面白い。
 まず,経営者やエグゼクティブとは縁のない,有象無象がゴールドのユーザーであること。固定観念を取り除いてもらえる。

● これ,俺が使ってもいいものなんだという発見。あたりまえなんだけどね。資本主義市場というか,自由なマーケットがあるんだからね。5,400円を払えば, Amazonが届けてくれるわけですよ。ものを言うのはカネであって,個人的な属性ではない。
 それはそうなんだけども,ゴールドですよ。ぼくは自分が使ってはいけないものだと思っていた。が,インスタに嬉々として写真をあげている有象無象ユーザーたちは,端からそんな事大主義には囚われていない。その自在さがまず面白かった。

● 能率手帳って出始めた頃には大版のイメージがあったらしい。が,今では小型手帳に分類される。小型で見開き2ページに1週間を載せなければならない。何を書いて何を書かないかを考えなければならないビジネスマン(ウーマン)もいるだろう。
 が,インスタにあがっているのを見る限りでは,“描く”と“貼る”でカラフルにっていう使い方なんですよね。普通の女子の使い方っていうかさ。

● それをやるのにゴールドかぁと,ぼくなんぞは思ってしまうんですよ。ゴールドじゃない方の能率手帳でいいじゃん。
 しかし,そのあたりがどうもぼくなんぞが墜ちやすい固定観念なんでしょうなぁ。ゴールドじゃない方の能率手帳だって1,200円するのだ。だったら,ゴールドの方が安いじゃん,っていうのも成立しそうだ。使いたいものを使うのに理屈必要? っていう話でもある。その闊達さ,ぼくも欲しい。

● “描く”も“貼る”も能率手帳の判型では狭すぎるのではと思うんだけど,狭い分だけぎっしり感が強くなる。要らないところは削ぎ落として,残ったものがギュッと圧縮されて残った感じ。
 しかも,それにカットが添えられたりしててカラフル。圧縮感とカラフルの両立。

● しかしだね,能率手帳ゴールドは普通に大衆のものだったんだねぇ。っていうかさ,今の日本には富裕層しか使っていないもの,大衆しか使っていないもの,っていう区別は成立しないよね。社長しか使っていないもの,ヒラしか使っていないもの,もない。
 お金さえ出せば手に入る。たいていのモノやサービスはそうだ。お金以外の何かがモノを言う局面はあまりない。
 これ,かなりいい時代ってことなんでしょうね。昔はそうじゃなかったんでしょ。下々の者がいくらお金を積んでもどうにもならないことがたくさんあったんでしょ。

2019.07.30 2冊目のモレスキンを使用中

● 22日でダイスキンを使い終えた。使い始めたのは6月20日だから33日間で1冊。これで96枚のA6黒ダイスキンの在庫はなくなった。よくぞ使い切ったものだ。
 が,ダイスキンはまだまだ残っている。黄色とオレンジの96枚A6があわせて3冊。80枚のA6黒ダイスキンが11冊。A罫60枚の新型ダイスキンも数冊。今は販売されていないB6ダイスキンが数えるのがイヤになるくらいある。

● ダイスキンタイプのノートはダイスキン以外にも何冊か手元に残っている。その中の1冊がモレスキン。で,そのモレスキンを使ってみることにした。昨年,宇都宮東武百貨店5階の文具店で500円で買ったもの。
 モレスキンは一度使っている。高価で粗悪というのがそのときの印象だ。
 『万年筆バイブル』(講談社)によれば,プラチナのブルーブラックはインクの流れを抑えるために界面活性剤を使っていないらしい。文字の滲みを避けるために,インクの粘度や表面張力を上げて浸透率を低くもしているらしいのだ。
 そのプラチナのブルーブラックでもモレスキンは裏に抜けた。当然,万年筆以外でも水性インクは軒並みダメ。片面使用を余儀なくされる。

● それを避けようとすれば,水性インクを使うのは諦めるしかない。油性ボールペンか(ゲルインクでも大丈夫だったが)鉛筆を使うしかない。ここまで筆記具を選ぶノートは,もはやノートと呼んではいけないのではないか。
 百円のダイスキンはプラチナのブルーブラックなら裏に抜けることはない。藁半紙なみの紙質なのか,モレスキン。

● それ以来,モレスキンは悪態をつく対象でしかなく,再びの使用はないと思っていたのだが,上述のとおり,別なノートと抱き合わせで買ってしまったのだ。
 知り合いに使うならやるよと言ってみたものの,じゃあ使うよという人はいなかった。だいたい,ぼくの周りにはノートをプライベイトで使うような人はあまりいないんだけど。
 仕方がないから自分で使うことにしたわけだ。

● プラチナのブルーブラックでまず日付を書いてみた。ら,裏に抜けることはないんでした。
 どうせ抜けると思っていたので,使う機会のなかったSARASAのグリーンブラックを合わせてみようと思ってたんだけど,万年筆で裏に抜けないなら,このまま万年筆(といっても,Plaisirだけどさ)を使ってみることにした。

● 裏抜けしないモレスキンはちゃんと使いやすい。これってかつての品質に戻ったってことなんだろうか。ダメスキンになる前の品質に。それとも,従来から言われている個体差の範囲内なんだろうか。
 しかし,こちらの使い方は変わらない。そしてそれはダイスキンでも満たせるものだ。そういうわけだから,モレスキンに2千円の価値があるとはなかなか思えないまま。

● 百円のダイスキンで自分の需要は満たせるわけだから,2千円のモレスキンを使う必要はないのが道理。その道理に反してモレスキンを使っている人たちって,なにゆえにモレスキンを使い続けているのだろうと,どうしても考えてしまう。
 ダイスキン(っていうか,モレスキン以外のノート)では満たせない需要があるのか。それがないとは言えないけれども,その使い方とはどういうものか,ぼくには具体的に想像がつかない。

● Instagramにあがっている使われ方を見ても,どうもそれは感じにくい。もっとも,Instagramにあがるのは“インスタ映え”するような使い方をしている場合が多く,全体性を担保したままその縮図になっているとは考えにくい。
 真にクリエイティブに使っている人は,それをInstagramにあげたりはしないようにも思える。真似したいとは思われないだろうからだ。その人にしかできない使い方のはずだから。

● 何だかね,Instagramを見ていると,モレスキンを使っている自分に酔ってるだけなんじゃないの,と思ってしまうんだよね。つまり,モレスキンは酔わせてくれる。それがモレスキンの魅力というわけだろうか。
 酔わせてくれる理由は,品質ではなくて価格と“伝説”か。ぼくらはしょせんバカでしかあり得ないと思うし,バカというコップの中で何事かを語ったり語られたりしているのだが,この“伝説”に引きずられるほどのバカにはなりたくないと思わんでもない。

● 無価値の価値ということか。モレスキンユーザーは無価値の価値をわかっている人たちなのか。
 しかし,やはり思うのだ。無価値の価値とは禅問答のような言葉だ。無価値はあくまで無価値でしかないと見切れるのが知性というものではないか。
 無駄の効用,無用の用,というのは大いにある。生きること自体がすでに無駄であるかもしれないのだが,それは置いておいて,無駄を省くことも行きすぎれば窒息する。が,無価値の価値というのはあるのか。
iya
● チャトウィンは元祖モレスキンを“トラベラーズノート”にしていたのだと推測するのだが,たしかに旅の記録や見聞を記すのにモレスキンは恰好だと思う。立って書くこともできる。
 しかし,今,チャトウィンが生きていたらモレスキンを選ぶだろうか。たとえば測量野帳を使ったかもしれない。

● ひょっとすると,モレスキンには2千円に相当する価値があるのかもしれない。裏抜けしないこのモレスキン,万年筆でもかなり書きやすいのだ。ほどよく滑る(その分,インクの吸収が悪い。だから裏抜けしないんだろう)。これなら2千円だしても・・・・・・。いやいや。

2019年7月29日月曜日

2019.07.29 買ったものの使っていない文具

● たくさんあるが,まずはパーカーのボールペンとシャープペンのセット。パーカーといっても,子供向けのペンで安かった。セットで1,000円だったか2,000円だったか。
 軸はプラスチック。ミッキーとミニーの顔が印刷されている。MADE IN U.K.。ヨメとふたりでフランクフルトに向かうANAの機内販売で買ったものだ。四半世紀も前のこと。

● 同じものをヨメも買っている。が,彼女はとっくにどこかに紛失しているだろう。
 ぼくは根がケチで物持ちがよいので,まだ手元に残っているが,さて,こういうのがいいのかどうかは,また別の問題だ。

● 低粘度ではない普通のボールペン,まったく使うことがなくなった。プライベートではもちろん,仕事でもあまり。
 ぼくは仕事で使うのも会社の支給品ではなく,自分の文具を持ち込む主義。パソコンを持ち込むのはNGだろうが,ペンはべつにかまわないだろうと勝手に決めて,そのようにしている。

● いや,そうでもしないと,使わないままで使えなくなってしまいそうな筆記具がたくさんあるからだ。何はともあれ,まず使いたい。
 使わないまま朽ち果てさせては,ぼくに買われた筆記具たちが可哀想すぎるじゃないか。

● ダイソーにはダイパカと呼ばれるゲルインクボールペンがあるのを数年前に知った。リフィルがパーカー型で,パーカーのボールペンに射して使える。
 ので,それも試してみた。が,完全互換というわけには行かなくて,ノックが利かないことがある(利くこともある)。

● ゲルインクボールペンとしてもやはり使わないのだった。もっといいボールペンがあるんだもんな。ジェットストリームだったり,ヴィクーニャだったり,SARASAだったり,シグノだったり。
 でもって,ジェットストリームもヴィクーニャもSARASAもシグノも,まったく使わないままのがゴロゴロ転がってるんだもんな。
 シャープペンに至っては,ボールペン以上に使わなくなった。これからも使うことがあるとは思えない。

● ノートにはPlaisir,手帳にはハイテックCコレト。この2本は酷使といってもいいくらいに使っているんだけど,他はまったく使わない。
 文具店に行くと,使わないとわかっていても買ってしまう。自然な結果として,使われないままの可哀想な筆記具が増える。

2019年7月26日金曜日

2019.07.26 伊東道風 『万年筆バイブル』

書名 万年筆バイブル
著者 伊東道風
発行所 講談社選書メチエ
発行年月日 2019.04.10
価格(税別) 1,500円

● わかりやすくて おもしろくて 役に立つ。さすが,伊東屋。

● 以下にいくつか転載。

 書くスピード速い方も,ペン先が硬いほうがあっています。ペン先が柔らかいと,しなるわけですが,しなる分だけ,書くスピードが遅くなるからです。(p28)
 ペン先のサイズ,つまりは字幅によっても書き味が変わります。字幅が狭いほど,つまりペン先が細くなればなるほど,先端にかかる摩擦力は大きくなるので,滑らかな感覚が低くなる。(p29)
 インクの流れを抑えるという設計思想でつくられているプラチナのブルーブラック・インクは,界面活性剤を使っていません。(p55)
 プラチナは,文字の滲みを避けるという設計思想がありますので,インクの粘度や表面張力を上げて,浸透率を低くしています。(p55)
 日本人には,技術というのは「均一性」を達成するためのものと考えているところがあります。(中略)それを達成する道具として,機械を導入してします。ところがヨーロッパでは万年筆を評価するにあたって,この「均一性」というものにはあまり重きを置いていないように思われます。ヨーロッパにおける万年筆の一番の評価のポイントは,「ハンドメイド」ということにあり,日本であれば機械で均一につくっているような部位も人間の手で行うことを重視しています。(p139)
 欧米では鉛筆は文房具ではなく,画材扱いされています。(p143)
 ユーザーの中には,万年筆を使っていくうちに自分の分身のように思えてくる方はたくさんいらっしゃいます。修理ができなければ,その方は自分の分身を失うことになります。(p144)
 概してヨーロッパの万年筆メーカーの装飾技術,宝飾彫金の技術は,日本の技術を凌駕しています。真に繊細で精密なものを求める場合は,均一性を求める日本的な技術よりも,ハンドメイドであることに重きを置き,一個一個に質と個性を求めるヨーロッパ的な技術のほうが,どうやら有効のようです。(p169)
 カランダッシュ社,エス・テー・デュポンには,欧州で根強い愛好者がいます。日本と違い,貴族文化の土壌があるヨーロッパには,真の意味で「良家の資産家」と呼べる人たちがいますが,本物の上流階級の人々は,ステイタスシンボルとなるようなブランド品よりも純粋に,「いいもの」「本物」だけを求めます。この二社は,まさにそういった人たちの目に敵ったものづくりをしているメーカーなのです。(p170)

2019年7月20日土曜日

2019.07.20 Bun2 2019-6月号

● その東武の文具売場に「Bun2 6月号」があったので,もらってきた。特集はペン。多彩な色(インク)に焦点をあてた特集だ。
 万年筆のインクが大幅に増えて,そのために若い人たちの万年筆ユーザーが増えているらしい。さらに万年筆に限らず,ボールペンやサインペンにも多彩な色が生まれているようだ。
 ブルーブラック一辺倒のジジイには,遠い世界といえば遠い世界。つまり,これだけの色を揃えて何をするのかというイメージが湧いてこない。

● 若者といっても女性が多いのだろうと思うんだけど,少なくとも自分には筆記具の商品開発はできないなと思う。いや,できない。
 自分は少品種大量消費。対して,彼ら彼女らは他品種を少しずつ使うのが流儀なのだろう。それ以前に,百均文具で良しとしているようでは,商品開発は覚束ない。

● 特集以外の記事の中で面白かったのは,バレットジャーナルの発案者ライダー・キャロル氏のインタビューのダイジェスト。「思考は,最初はフワフワしたものなので,それを言語化するためには,タイピングだとペースが早過ぎてしまいます」と。なるほど,そういう捉え方もあるのか。
 しかし,それは英語圏というかアルファベット圏での話かもしれない。日本語の場合だと,タイピングでも追いつかないと感じることも多い。

● その彼が持っているノートはモレスキンのように見えるのだが,ロイヒトトゥルム1917が公式ノートということになっていたのではないか。ロイヒトトゥルムなんでしょうね。
 というか,公式ノートなんてものが登場するところがどうもねぇ。胡散臭いとまでは言わないけれども,与したくないなぁとは思ってしまう。

● ところで,このBun2を発行しているのは,(株)ステイショナー。財団ではなく株式会社。そこに興味を持ってネットで調べてみたが,よくわからない。おそらく,各文具メーカーが共同出資して設立したに違いないが,設立されたのは戦後まもない昭和24年。
 Bun2(フリーペーパー)の発行のほかに,有料の文具雑誌も発行している。こちらは書店や文具店ではみかけたことがないから,購入を申し込んだメンバーにのみ郵送しているのだろう。
 「文具のとびら」というサイトも運営している。これが面白い。何で今まで気づかなかった?

2019.07.20 宇都宮東部百貨店5階の文具売場

● 決して広くはない店内をグルッと回ってみたが,モレスキンがない。昨年10月にここでワゴンセールになっていたモレスキンを500円で買っているんだけど,あの特売を最後にモレスキンの取扱いはやめたのだろうか。

● 正直,田舎ではモレスキンはそんなに売れないはずだと思う。モレスキンがまとっている雰囲気はけっこうアーバンチックだと思う。モレスキン社もそれを狙ってデザインしているのだろう。
 しかし,アーバンチックなのが田舎では売れないと考える理由ではない。物好きが田舎にはあまりいないということだ。

● 所得の問題もあると思う。モレスキンユーザーが富裕層とは限らないと思うのだが,手帳サイズで96枚のノートに2,000円を投じることができる人は,田舎にはそんなにいないんじゃないかな,と。
 何だかんだ言って,モレスキンは都会のもの。でもって,都会的なるものの吸引力は昔ほどにはない。