2024年5月15日水曜日

2024.05.15 落書きへの憧れ

● 宇都宮駅ビルの無印でノート(A6スリム)2冊,携帯用の鉛筆削り2個,B5のらくがき帳,を買ってみた。どれもすぐに必要というものではない。
 というか,どれもなけりゃないでいい。なくても困らないものだ。

● 特に,らくがき帳は余計。いや,余計と言ってはいけない。落書きはかなり高度な知的営みで,ぼくの手には余るということだ。
 落書きのどこが高度かというと,目的に先導されないことだ。何かの目的があって,そのために書くのではない。たとえば,勉強用のノートを書いているのと同じではない。

● 目的を持たない “書く” はそれだけで高度な文化といった印象になる。普段は鉛筆で日記的雑記を書き散らしている。それも目的があってのことではないけれども,落書きはそれとも違う。落書きは純度の高い “書く” だと思う。
 勉強のためにノートを作っているのは,事務職の仕事だ。落書きはクリエイターの準備体操のようなものだ。イメージはそんな感じね。

● ちなみに,ぼくは子供の頃もあまり落書きはしなかった。大人になってからも落書きの習慣がある人には,秘かに劣等感を抱いている。
 せめて,落書きをするジジイになりたいものだ。と思って,無印の落書き帳を買ってきたのだが,落書きをしたいから落書き帳を買ってきた,というところですでに,クリエイターからは遠い気がするね。

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