2025年9月4日木曜日

2028.09.04 人はなぜ高額商品を買うのか

● 手帳は去年から Bindex をやめて,百均手帳に移行した。それでまったく不都合を感じていないので,来年も百均手帳を継続するつもりで,すでに手帳本体も購入し,スタンバイ作業(パンチで穴を開け,ビニールパッチで補強する)も完了した。
 バインダーもお茶の水の丸善で買った,赤いビニール製のものをメインにしている。外出の際に持ち出すのはそれだ。
 保存用バインダーも百均で売っているものを使っている。ケチなものだから,安さ優先。

● けれども,文具店には革製の高級なのが置いてあり,それを買う人がいる。
 いや,自分自身が以前はそういうものに惹かれていた。今となっては,どういうわけでそうだったのか忘れそうになる。

● 機能的には百均で満たせるものに,なぜその何百倍もの資金を投じるのか。
 それを使うことに満足を覚えるからだろう。では,機能は同じなのになぜ満足を覚えるのか。

● 肌触りだとか,色合いだとか,デザインだとか,理由はいくつか考えられる。それを過小評価すべきではないと思うのだが,それらを使うことによってステイタスを得られる(ような気がする),自分の所属する階層が上がるような気がする。そういうことかもしれない。
 そのことを確認する手段は,それを他者に見せて,他者からの反応を確認することによって行うしかないはずだが,その他者には自分も含まれる。
 自分ともう1人の自分という他者との相互作用の中で,その確認過程が進行する。

● 人の行動は快不快の原則(快を求め,不快を避ける)で理解できると思っているのだが,快や不快は行う行為じたいに内在することも当然あるけれども,その行為が介在することによって生じる他者との関係性において立ち現れてくることが多いと思う。
 他者には自分も含まれるので,リアルの他者がいなくても,自分だけで快の増進過程は成立する。リアルの他者からの反応があれば,もっと迅速に進む。結局,そういうことかと考えてみる。

● 自分は定年退職という強制される措置によって社会や世間から切り離され,そのことを喜んでいる。他者との相互作用から自由になれたかとが嬉しくて仕方がない。というか,他者の反応に興味がなくなっている。
 いわゆる高級品に興味がなくなったのは,それが理由であろうかと思う。

● ただし,自分がそういう境遇だからといって,それが成長後の到達点のように考えるのは間違いだ。成長とは関係ない。
 境遇が変わったことによる単なる変化だ。そこに善悪や正誤はない。

● ぼくも自己中心主義から脱し切れず,自己を相対化するのが弱いところがある。これは今後の努力目標になる。
 他者の眼を意識して,そこに快の源を求め,高級・高額商品を使いたがる輩を下に見たがるところがあるが,それは甚だよろしからず,ということ。

● たとえば,デザインフィルのプロッターのA5サイズの薄型バインダーを見て,これいいなぁと今でも思う。トラベラーズノートのバインダー版の趣がある。
 現在使用中のビニールバインダーに代えようかとまではもはや思わないけれども,これをメインのバインダーにするのも悪くないなとは思う。

● リング部が剥がれやすいとネットで見たことがある。一枚皮がよれてしまわないかと気にもなる。
 そこがいいのだと言う人もいると思うのだが,結果的にぼくはパス。だけども,カッコいいとは思う。少なくとも,タダでやると言われれば受け取るもんね。くれる人はいないと思うけど。

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